教室に絶叫が上がっていた。
「うわああ! 俺の財産がぁぁぁ!」
両手で頭を抱え始めるその生徒は、二人で一つの机を挟み、その机にいくつもの駒を並べていた。地形を表す記号の上で、兵士を模した駒を動かし、机上で軍事演習を行うための教材である。
教材といっても、見ての通りのボードゲームだ。
二人の対戦を遠巻きにして、また別の机で同じゲームを遊んでいた五人組は、揃って顔を見合わせていた。
「なんか賭け事多くない? 流行ってんの?」
まず真っ先に口を開くのはウェインである。
「そうね。お金のやり取りは昨日も見たわ」
ニニムが半ば呆れがちなため息をつく。
そして、その呆れた眼差しを、そのまま自分達の囲むテーブルに向けた時、一人の少年がまったく同じような悲鳴を上げた。
「俺の財産がぁぁぁぁぁぁ!」
大声で喚くのは、五人の中でも一際大柄な少年で、名をグレンという。
「よかったじゃないか、グレン。賭けたのがゲーム用の紙幣で」
「なぜだ!? なぜ勝てん!?」
「そうだね。本物のお金を賭けていたら、今頃グレンは無一文だ」
嘆息するのは、グレンとは正反対の線の細い少年――ストラングだ。
「まったくだな。負けるたびにもう一回、もう一回、馬鹿の一つ覚えみたいにリベンジしてたら、最後には全部絞り取られて終わりだろ」
ウェインがニヤニヤとグレンを煽る。
「ほざいたなウェイン! くっ、本当に何故勝てないんだ!」
「だってお前、本当に同じ方法ばっかじゃん」
「ウェインの言う通りだよ。力押しで負けたのなら、別の戦い方を考えなくちゃ。なんてことを前にも話したような気がするんだけど、まだ学習していなかったとはね」
ストラングは大いに肩を竦める。
しかし、その盛り上がりの一方で、ニニムやロワの関心は別の机の様子にあった。他の机でも、友達同士で同じゲームの対戦が行われているが、そちらでは本物の金を賭けているのだ。
「本当に、賭け事が増えていないかしら」
ニニムは先ほどのウェインの言葉を掘り返す。
「そうですね。元々、帝国には決闘法といって、勝負の前に契約書を作り、勝負ごとによって揉め事の決着をつけられる法律があります」
「ってことはロワ、最近の賭けってみんなそれなの?」
ウェインの関心も、改めてそちらに移った。
「そうみたいですね。本来は話し合いでは決着のつかない揉め事を収めるために、お互いの合意によって勝負の取り決めを行うものです」
「はえー。彼女と付き合うのは俺だ、いや僕だとか?」
「そういう決闘の例もありますよ? 揉め事が収まらないと、そのままトラブルが大きくなってしまうこともありますから、無理にでも決着をつけるために作られたルールなのですが、どうやら面白がってそれを利用した生徒がいるみたいです」
「で、流行っちゃった?」
「流行っちゃってますね。なんか」
「はえー」
ウェインは顎に指を当て、遠い机で行われる勝負の様子に目をやった。
揉め事が収まらない事態というのは、お互いのパワーバランスが拮抗している例などがわかりやすい。
例えば、一人の少女を妻に迎えたい男が二人いて、同時にアプローチをかけたとする。しかも結婚には政略が絡むのでどちらも絶対に引けず、そして少女本人や、少女の家がどちらか一方を指名することもない。
パワーバランスがどちらかに偏っていれば、圧力をかけて強い方が弱い方を黙らせてしまえるが、拮抗していればそれもままならない。そこで第二第三の勢力が、こっちの肩を持つよ、と言い出せば拮抗状態ではなくなるが、その様子もなくあくまで拮抗が続いたら、いつまで経っても決着がつかないわけだ。
こうなると話は長引く。
下手をすれば何年も揉め事が続きかねない状況を見据え、こうなったら仕方がないので、決闘法を利用して、ゲームでも何でもいいから、何らかの勝負で決着をつけてしまおう。というのが、このルールの本来の使い方だ。
ところが法律の制定時、決闘法を利用可能なケースについて、細かい取り決めを怠ったため、学生同士の遊びに使おうと思えば使えてしまうという大穴ができた。
そして、契約書を交わして行う勝負なので、お金を賭けたり、勝った方が好きな女の子と付き合うといった内容には、法的な拘束力が付いてくる。一応、人を賞品にする場合、その本人の合意もいるらしいが、破れば違約金なり何なりが発生するので、敗者は賭けたものを差し出さねばならない。
などという話を知るにウェインは思う。
「それって何? 俺が勝ったら裸になれとかありなわけ?」
「てい」
「ぐほっ!」
ウェインの脇腹に、すかさずニニムの手刀が突き刺さる。
「冗談もほどほどにしなさい」
そんな二人を尻目にストラングが言う。
「ああ、そういえば聞いたことがあるよ。決闘法を悪用して、圧力をかけて決闘を無理矢理受けさせる。そして、勝った場合の条件を押しつける。なんて話をね」
「おぉぉ……。ならストラング、そんな悪法、廃止した方がよくね?」
力ある貴族が気に入った少女を召し上げるなど、よくある話に過ぎないが、賭けの内容を何でも好きにできるのなら、町中で裸踊りをしろ、という命令も出来てしまう。そこに法的な強制力が働くので、敗者はその通りにせざるを得ないとなると、気に入らない相手の名誉を失墜させることは簡単だ。
しかし、乱用されていれば、ウェインやニニムもとっくに決闘法を知っていた。
決闘法を持ち出すこと自体に、圧力がかかりやすいのかもしれない。
「改定議論中だそうです」
ロワが答える。
「ほーん。とかいって、なあなあのまま議論終了ってパターンじゃん」
「かもしれませんね」
と、ロワが嘆息。
(しっかし)
ウェインは何となく、本当に何となくだが、ロワやニニムの肢体に視線を走らせていた。決闘法を悪用可能だというなら、裸になれだの、尻の穴まで公開しろだの、恥ずかしい命令を契約書に書き込めば、とてもとても面白いことが出来てしまう。
(ま、両者の合意か)
政治的な圧力なら、無理な合意を迫ることは簡単だろう。
だが、学生同士のノリなら、嫌だ嫌だで乗り切ることも可能なわけで、無理にでも合意を迫って勝負に乗せられるとは限らない。最低な命令を書き込めば、突っぱねられるのがオチである。
(覚えておけば、何かに使えるかな)
合意の部分がネックとはいえ、確実に勝てる勝負を仕掛けることが出来たなら、相手を思い通りにコントロールできてしまう。そんな面白い法律なら、利用する機会があれば、是非とも使ってやりたいところだ。
◆◇◆
「は? へ?」
ニニム・ラーレイは表情を歪め切っていた。
「まさかね……」
ストラングもストラングで、信じられないものを見る目で盤面を見る。
頭のクラっと揺れるこの感覚こそ敗因だと、言い訳をしたくてたまらない。
その周りにいる人間すら微妙に唖然としているあたり、それがちょっと信じられない結果であることは、自他共に認めるところである。
一体、何が起こったのか。
今日も五人で集まって、隠れ家になりそうな小屋の中、たむろしつつもボードゲームで遊んでいたわけなのだが、これまで連戦連敗だったグレンが勝ってしまった。同じ戦法を繰り返し、ストラング相手に何度も何度も負けていて、その流れでニニムと対戦をするのなら、じゃあ勝つのはニニムだろうと誰もが予想した。
挑んだ本人ですら、勝てるとは思っていなかったようだ。
「マジか……」
グレン自身が呆気に取られていた。
剣術など、腕っ節は誰もが認めるところだが、頭脳についてはいまいち劣るというのがグレンの主な評価である。そのグレンの駒がニニムに王手をかけた瞬間、ロワなども無言のまま驚愕じみたものを浮かべていた。
「まさか……こんなことがあるなんて……」
負けるとは思わなかった相手に負けて、さしものニニムもショックを受けていた。
普通に勝てる気でいた。
グレンが相手? はいはい、ストラングの次は私に負けたいのね、という具合のノリで、勝てて当然のゲームのつもりでいた。その上での敗北がショックなのは当然だが、ニニムが動揺しているのは、それだけの理由ではない。
とある賭けをしていた。
どうせ勝てると思って賭けに乗り、そして負けてしまった衝撃は大きなものだった。
「いや! 待て! 何をこの世の終わりみたいな顔をしている! たまには俺が勝ってもいいじゃないか!」
グレンは大声でまくしたてる。
だが、違う。そうではない。
敗北自体のショックもあるが、賭けがあってこそのショックでもある。
「ぐ、グレン……決闘法なんか持ち出しておいて……」
「ぬぐっ、そうだったな」
と、ニニムの返しにグレンは唸る。
この信じられない事態に対して、ストラングの表情は意外でならないものに対する眼差しになっていたり、ロワが空いた口を両手で塞いでいたりと、それぞれがそれぞれの反応を示している。勝者と敗者であるグレンとニニムに、観戦していた脇の二人で、実に四人もの人間が驚いているわけなのだが、ところが一人だけニヤニヤしている男がいた。
(いやぁぁ、計画通りだわぁぁ!)
などと顔に出ているが、皆の目は盤面に向いているため、その表情にはニニムすら気づかない。
(だって勝つと思わないじゃん? マジでグレンが勝つとか思わないじゃん?~
そんな心の声など、ニニムには聞こえていない。
「ま、たまにはこんなこともあるさ。たまにはね」
「おい、たまにはを強調しすぎだぞ? ストラング」
「だって事実、僕には一度だって――まあ、お互い酒が入っていたことだし、グレンの方が酒に強かったんだろうね。酒に」
「酒か!? 俺の勝利は酒のおかげか!?」
「グレンはニニムにも勝ったことがなかった気がするし」
「あ、あのな? 俺だって一度くらい勝つぞ? 何度もやれば一度くらい勝つぞ?」
「ああ、そういえば今日は戦法を変えていたね。同じことの繰り返しだったグレンが少しは成長したっていうのと酒の組み合わせってわけだ」
「俺の勝利はあくまで酒のおかげか!?」
などと、グレンとストラングの言い合う場面は、普段はただの日常の一幕にすぎない。ニニムにとってよく見る光景の一部なのだが、あんな賭けをしての敗北の後では、それを微笑ましく見守ったり、苦言を呈してみたりする気分にならない。
正直に言うと、人生が終わった心地がしている。
(酒さえ……酒さえ飲まなければ買ってたの……?)
後悔でいっぱいのニニムである。
「いやぁ、いい酒だった。あの味をあんな連中に持たせておくのは勿体ない」
ウェインもウェインで、嬉しそうにその味を思い出し、見るからに頬を緩めている。よほど美味しい酒だったのは、一緒に飲んだのだからニニムにもわかるのだが、やはり負けたショックでそれどころではない。
美酒の味という余韻に浸る気分など湧いてこない。
そんなことより、後悔の念の方が大きく膨らみ、酒さえ飲まずにいれば良かったのか、といった思いすら抱いているのだ。
(酒なんて飲まなければ――)
事の顛末は数日前に立てた計画にまで遡る。
今日の五人はとある小屋の中に集まって、ひっそりと酒を楽しんだ上、ボードゲームで遊んでいたわけなのだが、ではその酒を一体どこから調達してきたか。
いけすかない貴族の酒瓶をただの水とすり替えてきたのだ。
元々、四人グループだったニニム達の中に、ロワが五人目として加わってからというもの、既に多くの危ない橋を渡っている。村人を動員して山賊討伐、汚職まみれの官僚の弾劾、悪徳商人の密輸品を強奪して売りさばく。
そういった企画を主にロワが持ち込んで来るのだが、形ばかりの難色を示したところで、結局はノリノリのウェインが大喜びで加わっている。グレンやストラングも乗せられて、そんなことばかりに精力を注いでいるのが近頃だ。
そして、つい昨日行ったのが、酒と水を入れ替えて、あくどい貴族の酒をかっぱらうことだった。その貴族の悪行についてはもろもろ判明しており、そんな奴に上等な酒を与えてやるのは勿体ないと、入れ替え作戦を立てたのが数日前、実行が昨日、そして飲んだのが今日ということである。
まだ学生である五人だが、背伸びしたい思いもそれぞれあって、飲酒という行為に手を伸ばす。この時代、そもそも飲酒に関する法律もなく、この大陸には「酒は大きくなってから」という概念が何となくあるだけだった。
よって仮にバレたとしても、飲酒そのものが咎められる心配もなく、五人で酒を飲み交わし、酔った勢いからか、誰の言葉だったか。そういえば決闘法の賭けが流行っていたので、自分達もやってみようという流れから、ニニムとグレンの対戦は始まった。
「いやぁぁ、しかしニニムさーん。意外な結果になりましたなぁ?」
そして、人の敗北を見てニヤニヤしているウェインというわけだ。
「ウェイン……うるさいわ……」
「あ、そういえば何か賭けてませんでしたっけー? ねえ、ニニムさーん。お約束はきちんと守れそうですかぁ?」
「うぅ……まったく……どうして私は……」
ニニムは心底頭を抱えた。
ただ負けただけなら、悔しいだけで話は済む。
だが、よりにもよって決闘法の契約書を作成して、負けたら言うことを聞く約束を交わしてしまうなど、どうしてそんな迂闊な真似をしてしまったのか。
(酒のせいなのは確かね。ちょっと頭がくらくらするわ)
揺れる頭に手を当てて、ニニムは深い後悔の念に駆られる。
飲み過ぎてはいないので、短い時間のあいだに少しは醒めているのだが、みんなで酒の勢いに任せてしまったせいのはず。
記憶は薄ぼんやりとして曖昧だが、酔ったせいで提案に乗せられて、まんまと契約書にサインをさせられてしまったような、そういう気がする。それさえも、気がするというだけで、自信が持てないのが本当のところである。
ところでニニムは気づいていない。
酔った勢いでしてしまった賭けなのだから、「酒のせいだからやっぱり無し」と言い張ることは可能である。その主張が実際に通るかどうかは別にしても、言い張るということはできるはずだ。
それなのにニニムの頭の中には、その考え自体が浮かんでいない。
「で、負けた時の約束は覚えてますかー?」
ウェインはやたらに嬉しそうに、満面の笑みで人の顔を覗き込む。
「それは覚えてるわよ。一応」
「じゃあ、明日は約束を守ってもらからねニニムさーん」
わざわざ違約金などかけてはあるが、要するにゲームに負けた罰ゲームだ。
それを明日、行うことになるわけだが、ところでニニムはおろか、グレンにストラング、ロワですら、疑問を持つべきことに何の疑問も抱いていない。自分達がおかしな提案をして、おかしな話を当然のように受け入れている、その状況に気づいていない。
罰ゲームの内容はストリップだ。
女の子を裸にさせる罰ゲームなど、品性に欠けているとして、いつものストラングなら反対をするだろう。ロワは侮蔑の視線を送り、グレンも決して賛成しないのは、簡単に予想のつく展開だが、どういうわけが誰も異論を唱えない。
他ならぬニニム自身、まるで仕方のないことのように受け入れている。
それ自体が異常であることに、誰一人として気づいていない。
もしも頭脳のキレが正常に働いていれば、少なくともニニムは気づいただろう。ウェインの生態をよく知っており、どんな悪巧みをする男かもわかっている。そんなニニムであれば、本当なら気づかないはずがない。
「あ、ところでロワさーん。あなたも一戦どうかなー?」
ウェインの酔いだけが、周りの誰よりも控え目だった。
四人の頭が大なり小なりクラクラとして、アルコールが抜けきっていない中、ただ一人だけが正常な思考を働かせていた。
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