その指輪はただの金属の塊として並んでいた。
とある露店街を歩いた時、サーシャ・ネクロンは一軒のアクセサリーショップに目を付けた。陳列された指輪やネックレスにイヤリングの、どれもが綺麗でオシャレなものに見えたので、何となく興味が湧いたのだ。
いずれも、魔法道具ではあるらしい。
微細な魔力しかなく、サーシャに言わせれば魔法道具としてはあってもなくても変わらない。ただの金属加工品の域を超えることはなかったが、見た目が気に入れば十分だった。
良いデザインでさえあればいい。
そのつもりで見ていると、サーシャはふと気づいた。陳列された指輪の中に、姉妹やカップルで身に着ける専用の、お揃いの指輪がセットで売られている。
サーシャはそれを気に入った。
妹のミーシャと共に、お揃いで身に着けてみようと思い描いて、その指輪に手を伸ばすことに決めたのだ。
さしものサーシャも、この時は気づいていなかった。
もし気づいてさえいれば、決して身に着けることはなかっただろう。
それどころか、一体誰がこんなものを生み出し流通させているのか。調査のためにこそ手元に確保したかもしれない。
だが、しかし気づかずに買ってしまったのだ。
それはいわば、擬態した指輪であった。
内側に秘めた魔力を隠匿し、高度な術式が見抜かれないように、単なる金属の塊のフリをした指輪は、実のところ嵌めた者に呪いをもたらす。
言ってみれば、トラップアイテムなのだ。
オシャレと思って嵌めた途端、その真の効力が発揮され、たちまち不利益をもたらすように作られた魔法の指輪は、しかも女性に対してのみ起動する。
それを生み出した職人は、とうの大昔に寿命を迎え、<転生>によって遙かな未来へ向かっている。決して表舞台に立つことなく、無名のまま消えたその人物は、もしも名が知れていたなら、間違いなくこう呼ばれていたことだろう。
――変態、と。
この世界には、変態願望を叶えるためだけに生まれた魔法道具が存在する。
服を透かせて女性を裸に見せる眼鏡。膣内で自動的に振動して、快感を与え続ける玩具。感度上昇の術式に、風呂場や着替えの覗きのためだけに磨き抜かれた気配隠匿の魔法など、変態願望から生まれた道具や術式は数知れない。
だが、それらの製法や術式は、全て本人の手元にのみ記録され、決して書物として流通することはなかった。その上、本人が<転生>の魔法で姿を消し、既に千年以上が経過している今、彼の暮らした住処も劣化して消え去っている。
彼の英知は何も引き継がれてはいない。
ただ、彼の残した製品だけが未だ世界のどこかに流通して、単なるそこらの加工品のフリをしながら、世のあらゆる女性の手元に渡ることを待ち構えている。
サーシャが買ってしまった指輪は、つまりそのうちの一つであった。
何も知らず、何も気づかず、ミーシャとお揃いの指輪を嵌め、無邪気に仲良く過ごすことだけを夢想している。そんなサーシャにとっての、思いもよらない悲劇の数々は、これからミーシャ共々を羞恥のどん底に叩き落とすこととなる。
*
学校生活はいたって変わらず始まった。
いつものように朝を迎え、いつものように教室の席につき、教師が現れ授業は始まる。このところ平和が続き、代わり映えのない日常が続いているが、今日はいつもと異なる点がある。
一つは指輪だ。
「ふふん」
サーシャ・ネクロンは満足そうに肘をつき、自分の指に輝く指輪を眺めていた。デザインを気に入って、良い買い物をしたと思っているのも大きいが、それ以上にサーシャが満足しているのは、ミーシャとお揃いの指輪を嵌めていることだ。
昨日は帰ってすぐ、片方をミーシャにプレゼントした。
そして、隣の席に座るミーシャも、同じように指輪を見つめ、表情は薄いが目の色には喜びが滲み出ている。
「お揃い」
「そうね」
「嬉しい」
「昨日も聞いたわ」
「昨日とは違う。これで外に出た」
「はいはい。ま、それもそうね」
サーシャはそっけなく返しているが、誰から見ても微笑ましい姉妹の一幕と映るだろう。
これこそが、いつもの日常とは少しだけ違う部分であった。
そして、もう一つ。
アノスやシンが世界の外側に出向いており、レイやミサも同行している。
所用のために長期間世界を離れ、魔王が不在となるあいだ、この世界での戦力を薄めないため、あえて残された者もいる。サーシャやミーシャもその残された中に含まれており、しばらくアノスとは会うことがない。
アノスがいない以上、アノシュ・ポルティコートも理由を付けて欠席しており、教室の席がいくつか空くこととなっていた。
これらの違いはありつつも、やがて教師が教室を訪れ、授業が始まる流れとなる。
この時までは、まだ異変は起こらなかった。
サーシャが未だ気づいていない、ミーシャも特別に深淵を覗こうとしていない、二人がただの変哲もない指輪だと思い込んでいるそれは、しかし機会を窺っていた。
いつ、どのタイミングで力を発揮するのが最適か。
二人はつまり、狙われている。
隙を見定め、襲いかかるチャンスを探るように、虎視眈々とした眼差しが向けられていることに、それでも二人は気づかない。指輪に秘められた力は絶大なものでありながら、二人して何ら疑惑を感じないほど、本当に上手いこと、単なる鉄の塊のフリをしていた。
着実にその時は迫る。
最初の授業が終わり、その担当教師が去っていっても、まだ何も起こらない。起こりはせずとも、いずれ訪れる災厄は確実に距離を詰め、二人をどん底に貶めようとしている。
隙やチャンスというものは、いつどんな瞬間に巡ってくるかはわからない。
ふとした拍子かもしれなければ、向こう数日以上は先かもしれない。指輪にとっての最適なタイミングは、果たしていつやってくるのか、指輪自身にもわからない。
例えるなら、タイムリミット不明の時限爆弾が時を刻んでいるわけだった。
次の授業が始まり、また終わる。
まだ指輪は動かない。
さらに次の授業が始まって、実技のために校庭へ出て行くと、ようやく指輪は反応を示す。決して気づかれることなく、実に密やかに示された反応は、やはりネクロン姉妹にさえ悟られることはない。
魔法の実技演習のため、生徒それぞれが魔法力を発揮して、その様子を教師が見守る。一人ずつ順番に見て回り、コツをわかっていない生徒がいれば指摘している。いつものありふれた授業風景の最中に、ふと教師は言ったのだ。
「みんな、一度お手本を見てみよう」
不意にネクロン姉妹を指名して、サーシャとミーシャを前に出させたのは、教師から見ていまいちな生徒が多すぎたためだった。それを全員、一人ずつ見て回るより、一度優れたお手本を見てもらい、真似をしてもらおうという判断になったわけである。
そこで魔王配下に頼むのは、いたって自然な流れであった。
だが、それこそを指輪は待っていた。
大勢の注目が一気に集まり、誰からの視線も浴びたその状態こそ、二人が嵌めた指輪にとって絶好のタイミングだったのだ。
二人は突如として裸になった。
クラスメイトの前に立ち、二人でお手本を見せようとしたまさにその時、何の前触れもなく急にすぱっと、一瞬にして制服が消え去っていた。
「……え?」
サーシャが呆然としていた。
「……」
言葉のないミーシャも、目で驚いていた。
絶句しているのは本人達だけではない。
この場にいる誰の頭も真っ白に、空気が完全に凍りついていた。目の前で起こったことについていけずに頭が止まり、一人残らず呆然とした顔をして固まっていた。
てっきり、お手本を見るつもりで目を向けて、すると全く予想もしないものを見せられての、虚を突かれた顔ばかりが並んでいる。せっかく女子の裸がありながら、あまりにも急であるせいか、興奮して視姦することも、逆に気を遣って目を逸らすことも忘れ、ただただ揃って呆然としきっていた。
「……」
「……」
「……」
沈黙が並んでいた。
誰にも理解できない現象だった。
一体、どんな魔法が使われて、それがどのように作用したのか。まばたきをする隙に消えたというべき一瞬の消失では、これだけの人数や教師がいながら、誰一人として起きたことを理解していなかった。
本人達にも、何が何だかさっぱりだ。
ただ、自分が裸になってしまった事実をやっとのことで理解して、サーシャの固まりきった頭は、徐々に働きを取り戻す。脳の回転が再開に近づくにつれ、しだいに赤らみ始めていた。
「な、な……な……!」
自分達に集まる目という目。
ここにいる全員に、胸やアソコを見られている。
やっとのことで状況を受け止めて、急速に赤面したサーシャは、次の瞬間にパニックめいて絶叫していた。
「いやぁああああああああ!」
真っ白になった頭がようやく働き、自分の状況を理解するのは、同時に自分の裸に自覚的になることでもあった。
「やだ……どうして……!?」
ミーシャも赤面しきっていた。
二人して同じように体を隠し、必死になってしゃがみ込む。腕で胸をガードして、もう片方の手の平ではアソコをまんべんなく覆い隠す。その上、しゃがみ姿勢の足まで駆使して、肝心の部分を少しでも見えにくくしようと苦心していた。
しかし、二人の頭の沸騰は止まらない。
(見られた! 絶対見られた!)
何秒もかけて、ずっと呆然と固まっていたのだ。
乳首も、下の毛も、クラスメイト達に見られている。
(どうして? なんで?)
ミーシャも動揺しきっていた。
わけもわからず裸になり、その原因にさっぱり見当がつかないのもさることながら、やはり見られた事実はショックが大きい。サーシャの赤面と動揺に、自分の裸がみんなの目に焼き付いてしまったことを気にしてやまない。
<時間遡行>でもして、自分が裸になった事実を歴史から消し去りたかった。
二人一緒に、本気でそんな気持ちになっていた。
そして、そんな二人の様子を前に、教師もクラスメイト達も、揃ってオロオロするばかりだ。前触れもない急な事態に、目を逸らす判断さえ出来ずにいた。
一人また一人と気まずそうな顔をして、誰もがこの状況に困り果てていた。
「みんな! 見ちゃ駄目なんだぞ!」
エレオノールが声を張るのも、数十秒と経ってようやくだった。
言われて始めて、男女問わない多くの生徒が目を逸らすべき事実に気づき、向こうを見たり後ろを向いたり、それぞれが二人の裸から視線を外す。
その時だ。
『ようやく、この瞬間がやって来た!』
それは<思念通信>による声だった。
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