バストアップマッサージを受けようと思ったまず第一のきっかけは、そもそも前々から気にしていたのだ。
もう十四にもなるというのに、周りの女子と違ってまだブラジャーも着けていない。残念ながら必要がなさそうなほどに薄いから、一着も買っていないのだ。しかし、見栄を張って不要なブラジャーを着けようかと、このところ真面目に悩んでいる。
第二のきっかけは、好きな男の子である。発育遅れでのコンプレックスで、いざ気になる男子がいてもアピールできないこともそうだが、今の好きな男子は巨乳派だと、伝え聞く話で知ってしまい、これでは脈はないではないかとショックを受けた。
最後のきっかけはSNSだ。
誰もがネットに触れる時代、当たり前のようにアカウントを持っており、顔の見えない友達も作っている。発育についての悩みを呟くと、それに反応したようにバストアップマッサージの存在を語り、その評判を流してくるので、気になって訪ねてみたのだ。
『本当に効果ある?』
『そりゃもう? けど、ちょっと時間かかるね』
『まあ一週間やそこらじゃ変わんないかー』
『でも、やらなきゃ一生変わんないってこともあるし?』
こうしたやり取りを交わすうち、バストアップマッサージを受けることがだんだんと視野に入っていく。たとえ成果が出るまで一年以上はかかるとしても、高校生や大学生になってなお悩むより、今のうちから何か継続を始めた方がいいのだろう。
『ちょっと試してみようかなー』
『オススメはここね。場所が近ければだけど』
お互い、把握しているのは都道府県ぐらいなもので、住所の交換まではしていない。場所の都合が合うか否か、向こうからはわからないわけなのだが、どうやら通えそうな場所にある。きっと効果も期待できるのだろう。
特に疑いなくアドレスに触れ、ホームページへと移ってみると、施術コースや料金を載せたページの他にも、所属マッサージ師の紹介もされており、どうやら中年の男性しかいない。
『施術やるのって、男の人?』
『そうなんだけどね。でも効果は確かでさ』
このSNSの相手が語るには、初めは迷いながらも評判の良さから予約を入れ、試しに受けてみたらしい。いざ胸に施術を受けると、理解の上で来たはずなのに、やっぱり抵抗があったらしい。
かといって、承知の上で来ていながら、途中でやめてもらうことも心情的にできず、ひたすら我慢の時間を過ごしたという。
『で、聞けばその我慢を繰り返して、そのうち効果が出てきたみたいに言われててね。なら私も何とか続けてみようって決めたんだけど、半年くらいで下着のサイズを変えることになったの』
ここまで言うからには、理解と覚悟さえあるのなら、行ってみる価値はありそうだ。
こうなると、次の問題は料金である。
十四歳の身で高額な支払いはできず、親に頼んで出してもらえるかにかかってくる。頼みやすい料金であるか否かは重要な問題だ。
『あ、そうそう。紹介制度で格安にできるって! どうする?』
というわけで、具体的な料金を聞き出すに、驚くほどの割引に裏さえ感じた。
聞けば新しいオイルのモニターやら、施術の練習台といった意味合いが強く、そのために料金を大幅に下げているという。安さの理由はそれであり、いわば店の手助けのようなことが求められるわけである。
とはいえ、施術自体は通常料金の場合と同じらしい。
だったら、効果を期待しても問題はなさそうだ。
しだいに興味が湧き始めていた。
「行ってみようかな……」
人に比べて多めにお小遣いをもらえる家庭なので、やりくりの範囲でどうにかなりそうなのも大きかった。
こうして、大野麻奈美は決意した。
申し訳程度に膨らみの気配があるだけの、ほとんどまな板と変わらないド貧乳を卒業して、いつか巨乳でスタイル抜群になることを夢見て予約を行った。
*
現れたのは中学生だった。
『いいカモが釣れた』
と、共犯者からのメッセージが届いてから、予約当日に迎えることとなった女の子は、何ともつぶらな瞳が可愛らしい。ウェーブがかった髪を肩まで伸ばし、小柄な体躯で見上げられれば、まるで子犬が可愛くてたまらないような気持ちにさせられる。
胸が小さくて悩んでいると、予約時のメッセージにも記載はあったが、確かにシャツは平らに見える。英字プリントの胸には凹凸が見つからず、脱がせた上で観察しないと、膨らみなど発見できないことだろう。
中年は清潔な施術着を身に纏い、穏やかな笑顔を作り上げ、カウンセリングルームでテーブルを挟む。
「どうもこんにちは、私が施術担当になります」
「ど、どうもっ、よろしくお願いします」
「大野真奈美さん。紹介形式での予約で、バストアップ希望。ということで、合っているかな?」
まずは形式上の確認から入っていく。
「胸が小さくて、悩んでいるので」
「了解。ちなみにホームページの確認とかはしてくれていると思うけど、当店には女性の店員さんがいらっしゃらないので、バストアップにせよ、ヒップアップにせよ、男性の手で施術を行うことになる。この点は大丈夫かな?」
「それも、紹介してくれた人の話を聞いて、最初は気になったけど効果が出たっていうので、なら私も……って、思ってます」
「よろしい。では紹介料金による格安コースについての説明をしていくけど、これだけ安い理由はいくつかあって、まずは練習台を求めるケース。これは新人のマッサージ師に経験を積んでもらうためってことになるね」
「でも、効果はあるんですよね?」
「もちろん、まったく効果ゼロなんてことはない。まあ、といっても今回は経験のある私が担当して、新作のアロマとかオイルの導入テストを兼ねていきたいわけだ。モニターテストってことだね」
「感想を言ったり、みたいなことを?」
「その通りだよ。うちは香りやオイルの効能も取り入れているわけだけど、いざ新しいのを取り入れて、匂いが良くない、感触が悪いとか言われたら困るからね。そこで紹介料金の方にお願いして、このオイルはどうだったか、アロマの香りに問題はなかったか。っていう意見が欲しいわけだね」
「なるほど」
「導入テストに成功したら、本来の価格のお客さんに対しても使ってみる。なんて流れを想定しているわけなんだけど、真奈美さんにも本来価格と同じ施術を施して、アドバイスを行っていくことになるので、継続さえすれば必ず効果は出るからね」
このように営業上の説明を重ねていくが、全ては用意した設定のものでしかない。
この店自体、中年にとっては特別な資格も無しに開店した道楽小屋で、これまで一度としてマッサージの練習をしたことはないくらいだ。
まったく無知では客を相手にする際に困るので、本やネットで気まぐれに仕込んだ知識は溜め込んでいるが、手で触れた感触で肌の健康を見抜いたり、まして整骨院のように骨格について云々言うような真似もできない。
適切な指導で技術を磨いたことがなく、適当に調べた知識だけで施術をやっている。
だが、宝くじで建てたオシャレた建物の外観に、それらしいホームページ、サクラを雇ったレビューの数々から、SNSで網を張っている『仲間』など、実力がなくとも客を集める手段には事欠かない。
面白いことに、半端な知識で適当なアドバイスをしただけで、それを健気に実践して巨乳化に成功してくれた実例まで出てくれた。
確かに、多少はものを調べた上で施術をしているが、たまに気が向くたびに学んだだけの知識量で、よくぞ騙されてくれるものである。
目の前の中学生も、こんな悪徳店舗の餌食になるというわけだ。
「ではね。このあとは専用の下着に着替えて頂き、タオルをかけた上でマッサージルームで待機して頂きます。そのあいだにこちらも準備を済ませておき、整いしだい私も部屋へ向かう形となっていきます」
開始までの流れを説明して、更衣室やマッサージルームへの案内を開始する。
更衣室には荷物用のロッカーを設置してあり、テーブルには一つのカゴが置いてある。カゴには専用の着替えとタオルを入れてあり、真奈美にはそれに着替えてもらうことになる。
そして、更衣室の奥へ進めば、そこがマッサージルームであり、施術用のベッドや景観用に飾った観葉植物、洒落た壁紙や大理石の輝く床など、いかにも高級感を演出するための飾り付けが成されている。
きっと、良い雰囲気の店だとでも思ってもらえるだろう。
「私は別の通路からマッサージルームに入ります。更衣室を通っていくようなことはないから、安心して大丈夫だからね」
警戒心を解くような上部の気遣いも忘れない。
「わかりました」
「ではごゆっくり」
中年はすぐさま更衣室を出て行って、早足で別の部屋へと入り込む。微妙な急ぎ具合でモニターの画面を起こし、機材が正常に動いているかのチェックも済ませ、全てが思い通りにいっていることにほくそ笑む。
モニターには真奈美の着替える様子が映っていた。
まずはテーブルのカゴからタオルをどかし、その下に隠していた着替えを見るなり、ぎょっとしたような信じられないような表情を浮かべている。すぐに着替えることはなく、中年が今さっき去ったばかりのドアを何度も伺い、明らかに迷いあぐねる様子であった。
これはさすがに恥ずかしい。
なんて言おう言おうとは思いながらも、はっきりと言い出すことができないらしい。ようやく意を決してか、固定カメラでは映らないドア付近の位置へ歩んでいき、次の瞬間には大きな声が聞こえてきた。
「あの! これ、着替えがちょっと……」
あえて返事はしない。
試しに黙っていると、数分後には諦めて更衣室の中へと戻っていき、両手に持ち上げた着替えと睨めっこをした挙げ句、やっとのことで決心する。
「……まあ、肌に触る必要とか、あるんだよね」
真奈美はどうにか納得して飲み込んで、シャツを脱ごうとたくし上げた。
まさか見られているとも知らない真奈美は、だから躊躇うはずもなく、ごく自然と脱いだシャツを折り畳み、スカートも下げてしまう。ブラジャーを外して下着を付け替え、ショーツもこちらの用意したものに履き替える。
更衣室には複数のカメラを仕掛けている。
一台のカメラだけでは映しきれないものも、別のカメラへ切り替えてみれば、ブラジャーを外した瞬間の乳首がばっちりと、ショーツを履き替える最中のアソコがきっちりと、肝心な映像は撮れている。
無論、マッサージルームの方にも、壁に、天井に、あらゆるところにカメラはあり、複数のアングルから撮影を行うことになる。
真奈美はタオルを抱きかかえ、マッサージルームへ移っていった。
施術台に上がっていき、仰向けに横たわるなり、タオルで肌をしっかり隠す。
準備が整ったところで、中年はまず更衣室へ踏み込んだ。
カゴを漁り、脱ぎたてのショーツを持ち上げて、そこに残った体温を少しのあいだ堪能させてもらうのだった。
*
大野麻奈美はそわそわしていた。
落ち着いていられない。意味もなく気が焦る。これでマッサージを受けるのかと思うと、今から恥ずかしくなってくる。
『専用の下着』
というもの自体は、ホームページやSNSの友達からわかっていた。
それが具体的にどんなものかは特に聞いていなかったが、オイルを使用するマッサージで、バストアップのための施術をするのだ。自分の下着をオイルで汚さないためにも、別のものに着替えること自体は不思議にも思わなかった。
それが紐のような下着とあらば話は別だ。
(え? なにこれ、え? え?)
カゴの中からタオルをどかし、出てきた下着を見るなり困惑した。
持ち上げてみれば、白いブラジャーのカップ部分は三角形の布がいかにも小さい。握り拳よりも数センチほど縮めた面積で、乳房の一体何割が隠れてくれるだろう。
ショーツの方も、アソコにあたるクロッチの布が細長い。三角コーンの三角形より少しは太い程度のもので、性器は隠れるかもしれないが、こんなものは穿くこと自体が恥ずかしい。
しかも、後ろに至っては単なる紐だ。
Tバックの交点部分、線の交わる部分に申し訳程度の三角形があるだけで、こんな布で隠れるものは、せいぜい尾てい骨ではないだろうか。お尻を隠す用途は期待できず、丸出しと変わらない。
(無理無理! これは無理!)
乳房に触れられる可能性、施術中に胸を出す可能性は承知している。
もっと直接的な言葉で言えば、中年にオッパイを見せる可能性は理解しているものの、それでも卑猥な下着を身につけるのは恥ずかしい。自分はここまで淫らじゃないのに、過度の性的アピールをするかのようで抵抗を感じてしまうのが、真奈美なりの乙女心なのだった。
これはさすがに……との思いで、麻奈美は下着と睨めっこをするばかりで、なかなか着替えを始められない。
こうなったら、もっと普通の下着に変えてはもらえないか、先ほどの中年でも誰でもいいから頼もうかと、更衣室の外へ声を張り、従業員の誰かを呼ぼうとした。
その返事がいくら待っても来ないので、麻奈美はいよいよ腹を括ろうとしていた。
(や、やだぁ……凄く嫌だけど、仕方ない……かなぁ…………)
性への好奇心は人並みに持ち合わせ、ネット検索をした経験から、女の子にいやらしい下着を着せたがる性癖の存在は知っている。これはまさしく、その手のものにしか見えなくて、これを着た姿を人に見せるのは辛いところだ。
だが、マッサージ師としては、きっと必要な備品を用意しただけで、卑猥なものを着せて喜びたいわけではない……はずだ。
(ああもう、しょうがないのかなぁ……)
このまま必要以上に時間をかけ続け、いつまでたっても着替えが終わらないのもおかしな話だ。
(仕方ない、よね……)
半ば諦めに近い気持ちで、麻奈美はシャツをたくし上げる。
スカートを脱ぎ、下着姿となり、ブラジャーを外したところで、改めて紐の下着を持ち上げる。
「うわぁ……私、これ着るのか……」
躊躇いながら胸に着ける。
乳房のうちでも、隠れた面積はきっと三割にも満たない。乳首は見えずに済むが、ささやかな膨らみの半分以上は露出している。
ショーツの方も穿き替えると、尻の割れ目に紐が通って、いかにも破廉恥な姿になってしまったことを実感する。
ちょうどこの更衣室には、全身を映すための大型の鏡が壁にかけてある。
試しに自分を鏡に映してみた。
「うわぁ……」
我ながら、いやらしい。
とても人前に出るための格好とは思えない。
こうして自分の姿を確かめてみただけでさえ、急な恥じらいが湧いてきて、頬が薄らとした桃色に変わっていく。
「これで男の人の前って、やばいよね……」
あの中年は気が良さそうで、穏やかな笑顔が安心感をもたらすような、何となく居心地の良い人柄だった。評判を聞く限りでも、胸への施術には抵抗があったが、やがては効果を実感できたとするものが多くある。
(平気だよね。変なことは、特に起きないよね……)
男と密室で二人きり、しかもこの格好。
不安を煽るには十分な材料だったが、きっと大丈夫なはずであると、麻奈美は自分に言い聞かせる。
誰も見ていないうちからタオルをかけ、何となく前を隠してドアノブに手を伸ばす。これでも後ろからは剥き出しの背中や丸出し同然の尻が見えるわけであり、どうしても落ち着かない。
施術用のベッドには清潔なシーツがかかっていた。
ベッドへ上がり、仰向けになることで、前も後ろも両方隠れる。
しかし、シーツやタオルが素肌に直接触れている感覚に、どうしても落ち着きが得られなかった。
ベッドについてから数分ほどで、先ほどの中年がノックと共に現れる。
「さて、お着替えは済んだかな?」
実に穏やかでかつ、優しげな笑顔を向けてきた。
いっそ、爽やかだ。
無条件で人柄を信用したくなるほどに、清々しい笑顔であるのだが、当の真奈美はちっとも清々しい気分ではない。
「あのー。さすがに、はしたないといいますか……」
正直、もう少しまともなものに変えて欲しい。
普通の下着に替えてもらうことへの未練は、まだまだ大いに残っていた。
着替えてしまっただけでも気になるのに、いざ男が目の前に現れて、余計に落ち着かない気分なのだ。タオル一枚をどかしただけで、全裸に限りなく近いまでに肌が晒されてしまうのだ。真奈美に言わせれば、これで平然としている方がおかしい。
頬が朱色になっていく。
(だって、恥ずかしいじゃん……)
内心でも、すっかり弱っていた。
きっと、上から普通の服を着ていても、中身がこれでは気になって外を歩けない。
「ああ、ごめんなさいねー。皆さん、最初は不安がるわけだけど、当然ながら私はマッサージ効果のある触り方しか致しません。ツボ押しだとか、リンパとかね」
「は、はあ……」
そういうことではなく、恥ずかしいから別のものに変えて欲しい。
中年を信用するしないではなく、卑猥な下着が気になって仕方がないのだ。
はっきりと物を言える性格だったなら、もっときちんと言うのだが。
「こんな密室で、心理的にはどうしても不安になるでしょう? だけどね、こちらも店の評判とか色々とかかっているわけだ。おかしなことをしたら、ネットで悪口とか書かれるかもしれないからね」
自分がいかに真っ当な施術しかしないつもりでいるか、その気持ちを伝えることで、少しでも安心させようとしてくれている。中年の気遣いはよくわかるし、それはもちろん有り難いことなのだが、そうじゃない。
本当に、そうじゃない。
もちろん、信用できない相手の前でこの下着なら、不安はより増大しているわけなのだが、やはりそうじゃないのだ。
「ええっと、あのぉ、だったら下着を……」
頭ではわかっている。
きっと、施術で肌に触れるから、そのために布を減らした下着にしてあるのだろう――と、真奈美は何も疑いを抱いていないから、そんな判断をしてしまっている。
そのために、わかってはいるが『卑猥な下着』という感覚が先に出て、どうしても別のものに替えて欲しい気持ちになってしまう。
これが今の真奈美の心境なわけだった。
「ああ、下着はね。お客さんに使って頂く備品は使い捨てなのだけど、こちらの不手際で普通のタイプは切らしてしまっていて、替えがない状態でね。本当に申し訳ないんだけど、今日のところは我慢してもらえるかな?」
急に申し訳なさそうな、落ち込んだ表情を浮かべてくる。
「いえ、こちらこそ変なこと言ってしまって……」
そう来られれば、真奈美もすぐさま引いてしまう。
これが真奈美の性格だった。
大事だと思ったことは、言おう言おうとはするのだが、相手の押しが強かったり、どうしても聞いてもらえない状況では、渋々と引き下がる傾向にある。
そもそもの替えがないとあっては、意地の張りようもなかった。
「いえいえいえ、お気になさらず。まあ、こんなところで、そろそろ施術の方へと入っていきたいわけだけど、よろしいかな?」
「そうですね。じゃあ、お願いします」
本当は良くない。
下着を替えて欲しい思いは、どうしても完全には収まらない。替えがないとはわかっても、あまりにも落ち着かない感覚から、諦めきれない気持ちはいつまでも胸に燻る。
「ではまず、アロマポットで香りを焚き、効能のある匂いを楽しんでもらいましょう――といっても、最初の説明で言った通り、導入テストみたいなものなんだけどね」
中年はオシャレな陶器のポットをテーブルに置き、キャンドル式のそれに火を灯す。
受け皿の水にエッセンシャルオイルを垂らし、それがやがて蒸発することで、しだいに香りが漂うのだ。
「香りがするまで少々時間がかかるからね。そのあいだに、今日の施術について一通り説明していこう」
中年は行う予定のマッサージについて語り出す。
乳房の中や周囲にあるツボを押し、どんなリンパを流すことで、バストアップ効果を狙った刺激を与えるか。そういった解説と共に、途中から乳房に触ることになるのを事前に伝え、その時は我慢して欲しいとお願いしてくる。
話には集中できない。
やっぱり、下着が気になって気になって、どうにか内容を頭に入れはしているが、きちんとは集中できていない。
「どうかな? 大丈夫そう?」
ひとしきりの説明の上、中年は尋ねてきた。
「はい。大丈夫、かと……」
「そろそろ、香りがしてきた頃合いだね」
その時だった。
くらっ、
と、急に頭が揺れたかのような、奇妙な感覚に見舞われた。
仰向けの姿勢だったからいいが、立っていたら足がフラついたかもしれない。
(あれ? 今の、何?)
「大丈夫かな?」
「はい。ええっと、いい香りだと思います」
「不快感はなさそうかな?」
「特には……」
香りが良いと思ったのは本当だ。
ハーブなのか、何なのか、詳しくないので判断はつかないが、鼻孔に流れ込む香りは心地がよく、どこかうっとりさせられる。
ただ、頭がぽーっと、浮かんでいる気分とでもいうのだろうか。
奇妙な気持ち良さがある。
不思議なほどうっとしりて、顔がだらしなくとろけてしまいそうで、しかし最初にくらっと揺れたような感覚は何だったのか。
「一+一は?」
「へ? あ、ええっと、二ですよね?」
急に算数の問題を出され、まずは困惑したものの、ひとまずは答えてみる。
「脳に刺激がいくらしくて――ああ、もちろん害のないものを使っているけど、頭の回転が鈍ることがあるらしいんだ。こういう簡単な問題を出すことで、一応きちんと異変がないか確かめているけど、あくまで念のためだからね」
「そうなんですか」
「ではもう一問。三×三は?」
「あ、ええと……。ろく、じゃなくて、九――」
一瞬、パっとは答えが出なかった。
わざとらしい簡単な問題で、真奈美を苦戦させるつもりがない。それをどうして足し算の答えを言いかけてしまったのか。
「問題なさそうだね?」
と、中年は言う。
だが、そうだろうか。
実は本当に頭の回転が鈍くなり、答えが出にくくなってはいないだろうか。
真奈美にとって、数学は得意科目のはずなのだった。
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