目次 次の話




 体が怠い。
 熱っぽい頭に冷却シートを貼りつけても、額の熱がすぐにそれを温める。もう貼りつけている意味なんてどこにもなくて、それでも剥がすことが億劫だ。毛布の中から腕を出すことさえ面倒臭い。
 堀京子は熱を出していた。
 何か体に悪いことをしただろうか、どこかで体を冷やしたかと、今朝までは心当たりを思い出そうとしていたが、徹夜のせいで免疫が下がったのかもしれない。生徒会に仕事の手伝いを頼まれて、だから宿題との両立に時間を使い、ろくな睡眠を取っていない。
 母親は仕事で行ってしまった。
 きちんと病院で診てもらうようにと、テーブルにお金と保険証が置いてあるらしいが、ベッドから這い出る気分にもならないのに、家を出て病院まで歩いていって、病院にまで辿り着くなんて真似、今の自分にできるだろうか。
(でも、早く治したいな……)
 宮村に移しても悪い。
 時間は昼頃を迎え、ようやく冷却シートを剥がす元気は湧いて、堀はぼんやりとだらけた顔で着替え始める。
 それから、テーブルの保険証とお金を取り、ふらふらとした足取りで病院を訪れた。
 平日の日中だからか、老人が数人ほどいただけで、さほど混み合ってもいない。診察室も複数あるから、おかげで回転率が良かったか。五分と待つことなく待合室から呼び出され、堀は医師の前に腰掛けた。
(言っちゃ悪いけど、なんだろう……)
 目の前の医師は、少しだけ宮村に似ていたが、しかし宮村とは決定的に違う。宮村は太っていない、頬が丸っと膨らんでいるなんてこともない。唇もタラコみたいな形はしていない。ニキビやそばかすもない。
 ただ、長い髪を下ろして眼鏡をかけているあたりが、学校で見る宮村を少しだけ、本当に少しだけ彷彿させた。
(なに考えてんだろう。比べたら失礼……いや、この人にも失礼か……)
 ルックスがあまりにも醜悪な部類で、比較しては宮村に悪いような思いが自然と浮かんでしまっていた。
 いけない、この人にも悪い。
 人様に対して失礼だったと心の内で反省しつつ、堀は問診への受け答えを行った。
 いつ頃から具合が悪くなったか、今朝までは熱は何度あったか。喉の調子はどうか。様々な質問にぼんやりと返事を返すから、堀自身も正確に答えているかわからない。脳の熱さのせいで、真面目に答える気分にどうしてもならなかった。
「じゃあ、口を開けてもらえるかな?」
 喉の風邪ではないか確かめるため、医師は堀の口腔をライトで照らして覗き込む。
(顔、近い……)
 診察なのだから当然だ。
 しかし、この医師は何故だか頬に手の平を当ててきて、手汗の微妙なねっとりと、高い体温がそのまま肌に伝わってくる。しかも、こちらを覗き込むための視線がぐっと近づき、長々と観察をしてくるのだ。
(ちょっと、嫌だな……)
 きっと、宮村の手なら嫌ではない。
 肉体という名のプライベートゾーンへと、名前すら知らない他人の進入を心では許していない。そんなことを言っても、診察を受けなくては仕方がないから、堀は何も言わずに我慢をしていた。
「次は聴診、するからね」
 ああ、聴診器か。
 何でもいいから、早く終わって欲しい。
 早く済ませて、早く帰って、改めてだらだらと惰眠を貪りたい。家を出ることさえ億劫だったこの身体が、こんな病院までやって来ていること自体が奇跡なのだ。

「上、裸になってもらえるかな」
「え……」

 この人は今、何と言ったのだろうか。
 裸? 裸と、言われたような。
「悪いんだけどね。うちの聴診器だと服の上からじゃ駄目なんだよね。脱いだものはそこのカゴに置いていいから、ブラジャーも外してもらえるかな」
 ぼんやりとしていた堀の頭は、ようやく自分の言われたことを理解していた。
 脱がなくてはいけないらしい。
「えっ、その……はい…………」
 セクハラ? ドクハラ?
 騙されてはいないか?
 そういったことが頭の中に浮かんでくるも、熱の高い頭で疑問を口にする元気はない。そうせざるを得ないかのように、堀はシャツの丈を両手に掴み、たくし上げていた。
(やだな……)
 シャツの中からヘソを出し、もう少しで白いブラジャーが見えそうな段階で、堀は抵抗感に駆られていた。躊躇いでこれ以上は持ち上げられず、腕が固まってしまっていた。
「ほら、早くしないと、次の患者さんもいるんだからね」
 まるで堀が悪いように責めてくる。
 待合室に他の老人がいたことは確かであり、自分のせいで待たせることまで引き合いに出されては、ますます脱がざるを得ない。
(うっ、うぅ……思ったより……)
 顔が染まるも何も、熱で元から赤いかもしれないが、頬の内側に恥じらいの火が灯り、風邪とは違う別の種類の熱が広がっていた。
 医師はじっと堀を見ている。
 ジロジロとした視線の前で、堀は意識してしまう。医師の男は特にいやらしい表情をしているわけではなく、鼻の下も伸びていない。ただ淡々と仕事をこなそうと、堀の脱衣を待っているだけなのだが、それでも視線は胸にある。

 じぃぃぃぃ…………。

 と、ブラジャーの色を見ているのは明らかだ。
(変な気持ちとか、ないといいけど……)
 不安になりながら、ブラジャーを露出しきる高さにまでたくし上げ、頭をシャツの外へ出す。袖の中から腕も引き抜き、ブラジャーのみとなった上半身から、この防壁さえも撤去しないといけない不安感が心に膨らむ。
 両腕を背中に回し、指先でホックを探り当てた時、緊張で心臓の音が高鳴っていた。
(なんというか……。やっぱり、見せるのは抵抗が……)
 ホックを外し、カップが緩んで少しばかりの隙間が生まれる。
 堀は片腕で胸を隠さんばかりにして、もう片方の手で肩紐を一本ずつ下げていく。腕と身体の隙間から引き抜く形でブラジャーを取り去ると、もう上半身を守るものは何もなくなり、いかにも心許なくなっていた。
「大丈夫だよ? 診察だから、すぐ終わるからね?」
(すぐ済むって、それは……わかってるわよ……)
 恥じらっていても、ただこの時間が長引くだけだとわかっている。待合室に座る老人が順番を待ち侘びていることもわかっている。
(わかってる……わよ……)
 堀は両腕をだらりと落とし、観念したかのように乳房を晒した。

 カァァァァァァ……!

 顔から火が出る。
 そんな表現通りの思いを生々しく体験して、みるみるうちに赤面が広がっていく。熱っぽいのは始めからでも、別の種類の熱が塗り潰してくるかのように、顔中に恥じらいが拡散していた。
 たとえ風邪の熱を今すぐに取り去っても、羞恥の熱で赤みが残るはずだった。
(ああもう! シンプルに恥ずかしいし!)
 この薄らかな胸が、名前すら知らない男の視線に晒されている。
 乙女としての大切なエリアに、診察だから迎え入れなくてはならない感覚は、プライベートな何かを漁られている気持ちに近い。本当は誰も侵入させたくない部分を見られ、調べられるのは恥辱である。
 早速のように聴診器が触れて来て、金属のひんやりとした感触が胸の中央に当たってきた。
(早く終われ――早く終われ――早く終われ――早く終われ――)
 心の中では念仏のように唱え続ける。
 念が通じているのかいないのか、堀の胸で聴診器が位置を変え、左乳房の下に当たった。
「…………」
 医師は黙々と耳に意識を集中している。
(早く――早く――早く――早く――早く――早く――)
 念じ続けて、ようやく聴診器は離れていった。
 やっと診察が終わったと、安心した直後である。

「ちょっ!?」

 医師は両手で胸を揉んできた。
 その衝撃に堀はまずぎょっと固まって、目を見開いた表情で瞳を震わすばかりとなった。身体の時間を止めてしまったように顔つきが固定され、頭も真っ白に身動きを取ることがなくなっていた。
「うーん。なるほどね」
 そして、医師はあたかも診察の一環に過ぎないように、何かに納得している風に指に強弱をつけていた。
 堀の胸は薄い。
 辛うじて膨らんではいるものの、服の上からは平らだと誤解されかねないAAカップで、そんな乳房でも指は食い込み、手の平は押しつけられている。
(え? え? え? え? え? え? え?)
 堀の頭の中では疑問符が連続していた。
(え? あの? わ、私は何をされているの?)
 乳房へのタッチが変わり、至る所に指を押し込みペタペタと、様々な箇所を点検している手つきとなる。それが乳首の周りをひとしきり済ませると、もう片方の乳房に移り、膨らみを一箇所ずつ潰していく。
 さらに乳首を両手でつままれ、いよいよ堀は怖気を感じ始めていた。
(絶対……おかしいよね………………)
 赤らみから一変して、今度は逆に青ざめていく。
 乳首を挟む指の圧力は、甘い痺れこそ生み出すものの、それ以上に鳥肌が周囲に広がる。まるで乳首を中心に円を拡大するように、ぞわぁぁぁぁ……と、肌中が泡立っていた。
 恐怖があった。
(どうしよう……どうすればいいの……?)
 自分は痴漢されているかもしれない。目の前にいる男は、そうした犯罪を行う男なのかもしれない。すぐ外に他の患者が待っているとはいえ、出入り口をカーテンで仕切って、二人きりの空間が形成されている中で、堀は下手な身動きを取れない気持ちになっていた。
「あ、あの? これは何を……」
 ようやく搾り出した声はこれだった。
「ああ、皮膚に湿疹みたいのが見えた気がしてね? ちょっと調べていたんだ」
 医師はあっけからんと答え、あと少しのあいだばかり乳首を弄り続けた後、その両手を離して診察の終了を告げてくる。
 着替えを許された堀は、即座にブラジャーを着け直し、人生でこれ以上にないほどの速度でシャツを着ていた。
 早く、この男の前から離れたかった。
(最悪……)
 胸を揉まれた余韻が残っている。
 びっしりと、まんべんなく噴き出た手汗が粘り気を帯び、セロファンテープほどではないが、手の平がちょっとした粘着力を帯びていた。その上、嫌に温かい手だったせいで、手の平から伝わる体温まで皮膚に残留しているのだ。
 乳房に手形を残された不快感から、処方箋で薬を貰った後、帰宅した堀はすぐにでもシャワーを浴びて、胸を念入りに洗っていた。
「というか……」
 あの医者は何だったのか。
 あんな診察がありえるのか。もっと毅然とした態度を取り、色々と文句を言っても良かったのではないか。思い出せば思い出すほど、今度は腹が立ってきて、堀は壁に拳を叩きつけていた。
「ムカツク!」
 堀は一人、怒りを声に出していた。

「あぁぁぁ~! ムカツク! 腹立つ! なんなのあれ!? 絶対ありえないから!」

 あああぁっ!
 もう! もう! もう!

 堀の心はほとんどそんな状態に陥っていた。
 抱え込んだ気持ちを晴らしたい。できることなら、あのエロ医者をどうにかしてやりたい。だからといって、今から金属バットを持って殴り込むわけにもいかず、気持ちのやり場がないのだった。

 そんな時――。

「堀さーん。いるー?」

 玄関のドアに鍵が刺さって、開かれる音を聞いた時、堀はすぐさま彼の元へとずかずかと迫っていった。
 そうだ。
 今日は母親が仕事で、父親は……いないから、学校が終わった後で、弟の迎えは宮村に頼んでいた。その宮村が弟と手を繋ぎ、玄関から上がって来る姿を見るなり、堀は即座に胸倉を掴んで頭突きをかます。
「え!? 何!? 俺なにかした!?」
 鼻を手で押さえ、宮村は動揺気味になっていた。
「べつに! 何も!」
「ええええええ…………」
 驚いたようなげんなりとした顔の宮村を見て、堀はふっと笑いをこぼす。
 まあ、これで少しは晴れた。
 とにかく今は忘れようと、吹っ切ろうとするのだった。



 
 
 

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