西連寺春菜は必死に走る。
行く先々に回り込み、待ち構えている中年に恐怖しながら、やがて河川敷の橋の下へと逃れていた。
誰もいない。
橋の下、雨を逃れた春菜は、太い円柱の影に身を潜め、背中を預けて息を整えていた。無我夢中で走り回り、喉が焼け切れそうなほど、激しく体力を消耗したのだ。足の筋肉が悲鳴を上げ、肩も上下に動き続けた。
「結城くん……!」
今までのパニックが少しでも収まって、やっとのことで助けを呼ぶことを思いつく。真っ先に連絡をしようとしたのが、何故だか警察ではなく結城リトだった。リトなら、すぐにでも駆けつけてくれると信じていた。
相手は宇宙人に違いない。
ララの素性を知っているのはそういうことだ。
「お願い! 結城くん!」
しかし、圏外だった。
「そんな!」
山奥でも地下でもない、こんな場所での圏外に狼狽する。春菜には知る余地のないことだが、トゥーサッツ星人は大気圏外に待機させている宇宙船で、ピンポイントに遮断を行い、春菜が助けを呼べないようにしているのだ。
泣きたい思いで、駄目だとわかって電話をかけ、そして当然のように繋がらなかった。
「どうしよう…………」
今にも見つかるのではないかと春菜は怯える。
見つかりたくない一心で息を潜め、何分も、何分も、春菜はこの場で震え続ける。
あれだけ何度も、ワープしているとしか思えない形で、行く先々に立ち塞がった中年が、影も形も現さない。見失ってくれたのかと、淡い期待を込め、恐る恐る柱の外を確かめる。
「やだ…………」
春菜の顔から血の気が引いた。
河川敷の坂を上がった道のりに、誰かはわからないが、男らしき者が立っている。この距離では顔や体格の判別もつかないが、今の春菜は男さえ立っていれば条件反射で恐怖していた。
柱から顔だけを出す形で、どこかへ去ってくれることを期待しながら見ていると、男は坂を下り始める。自分のいるこの円柱に迫ってくることがわかって、春菜は即座に身を引っ込め、震えながら自分自身の身体を抱き締めていた。
「あーあー。いないかなぁ?」
やはり、探している。
どうか見つかりませんようにと、心の底から祈って声を殺す。
「いないかなー」
ところが、声が違った。
(……あのオジサン……じゃない?)
近づいてくる足音は、春菜が寄りかかっているちょうど裏側で止まっていた。こちらに回り込んで来る様子はない。
別人なら、一体誰が何を探しているのか。
恐る恐る顔を出し、姿を確かめようとしてみると、そこには見覚えのないシャツの背中があるのだった。何かを探す様子でキョロキョロと、辺りを眺め回していた。
だが、その手にはカメラが握られていた。
「あーあー。風でスカートが捲れるだろうに」
(うそ……)
この人もだ。
別人であっても、考えていることは同じなのだ。
こうなると、出るに出られず、一体いつになったら円柱の外に行けるのか。すがる思いで携帯を見ても、やはり圏外のままである。
……どうしよう。
ただ写真を撮ろうとするだけの、普通の人間であれば、お尻を押さえながらさっさと歩いて行ってしまえば、きっと切り抜けられるだろう。痴漢として抱きついたり、襲ってさえ来なければ、そのまま家に帰れるが――。
(だめ、こわい……)
狙われるとわかって出ていく真似が出来ずに、どこかへ去ってくれることを祈るのだが、男は一向に去ろうとしない。かといって、いつまでもこのままでも、宇宙人の方が春菜を見つけに来るかもしれない。
不審者が二人になるよりは……。
そう思い至ってみると、その方がもっと怖いと思った春菜は、やはり柱の外へ出て行くことにした。
移動すれば圏外ではなくなるかもと、心のどこかで期待もあり、春菜は傘を差し直す。激しい雨音を頭上に聞きながら、橋の下を出た春菜は、そっと肩越しに振り向いた。
(……やだ。着いてきてる)
男は後ろから、さも道が同じように振る舞っている。本当に同じだけであって欲しいと祈りつつ、春野はお尻を手で押さえた。片手では傘を、片手ではスカートのひらめきを、そんな形で歩いているから、支えの弱い傘は風にフラフラと傾きやすい。
坂を上がり、道のりに入る。
すると、男は春菜を後ろから追い抜いて、先へと進み出していた。先程の、女の子のスカートを狙う口ぶりは何だったのかと、逆に思ってしまうところだが、狙われなくて安心していた。
そんな時、正面からの風が前髪を持ち上げて、雨粒が頬を掠めていく。
「えっ、ちょっとっ」
誰にも見られやしない、前を歩く男だって、こちらに背中を向けている。そうとわかっていても、春菜は反射的にスカートを手で押さえていた。
「撮れたよ?」
「――え?」
一瞬、きょとんとした。
しかし、こちらを振り向き、カメラを向けてきている男に気づいた時、それが下着を写真に収めた宣言だということに気づいて顔が染まった。頭が加熱されたように熱くなり、風がやんでもなお、春菜はぎゅっと強くスカートを握り締めて押さえていた。
「白だねぇ?」
ニィィィ──と、おぞましく笑う男に、全身が総毛立つ。背中を寒気が駆け巡り、真冬の冷気に包まれたような思いがした。
「レースが見えたよ? 赤いリボンもあって、あとなにか柄があったね?」
男は自分が見たものを言葉にする。
「ありがとう? いいもの見せてくれて、写真まで撮らせてくれて」
煽らんばかりの勝ち誇ったお礼を言われ、ますます羞恥を煽られた春菜は、ただでさえ赤い顔を強張らせ、表情をプルプルと震わせ歪めていた。
男は迫ってくる。
「やっ、やだ……」
春菜はたった一歩後ずさり、それしかできずに恐怖に固まるばかりとなった。何をされるのか、どうなってしまうのか。恐慌に頭が染まり、心臓は激しく鳴る。足が震えてやまない春菜へと、いくらでも手を触れられる距離にまで詰めてきて、春菜はぎゅっと目を瞑った。
……何事も起こらない。
水溜まりを踏みつけて、びちゃりと鳴る足音と共に、男は春菜を横切っていく。
(……い、行ったの?)
手出しされずに済んだ。
それだけはホッとした時、しかし春菜は悲鳴を上げた。
「いやぁ!」
お尻に、手が置かれたのだ。
しっとりと水気を含み、ショーツまで濡れているせいで、丸みに沿ってぴったりと張り付く布地のカーブに合わせ、手の平が上下に動く。触れられた部分の毛穴が一気に広がり、背筋の泡立つ感覚に陥る春菜へと、さらに背後の男は抱きつく。
「っ!」
春菜は戦慄していた。
背中に密着してくる男の体温が、春菜のことを温めんばかりに伝わってくる。腹筋や胸板の熱気が肌に染み付き、ぞっとしていて身体中が震え渡る。見知らぬ不審者の体温など、ナメクジに触る気持ち悪さと同等だった。
「動くなよ?」
恐喝だった。
抵抗すれば容赦しない、そんな意思が低く鋭い声で伝わった。
春菜には大の男をどうこうすることはできない。助けを呼ぼうにも、圏外のままどこにも伝わらず、通行人の気配もない。通りかかった誰かが助けてくれる期待、こっそり通報してくれる期待も持てない。
「お願い……します……やめて下さい…………」
精一杯の勇気を振り絞り、どうにかできたことはお願いだった。
「へへっ、やっぱいいわぁ、地球人」
太く固い一物まで、春菜の柔らかな膨らみに伝わっていた。
「地球……人……?」
「ほーら、見てごらん?」
眼前に携帯端末の画面を見せつけられ、春菜は思わず目を背けた。
──動画だった。
傘を差した一人の少女の背中が映っている。強風でスカートが揺れ、捲れそうなたびに手で気にして、押さえることもしているのは、他ならぬ春菜自身だ。それを春菜は見ていられず、顔を背けて目を閉ざす。
「見ろ」
強い命令口調に怯え、春菜は画面に視線を戻す。
「やっ……!」
スカートが捲れていた。
風で丸見えとなったショーツのお尻がくっきりと映っていた。
「後ろ側にもレースがあったね? 可愛いパンツだ」
耳の裏側に口が近づき、嫌に温かい息が触れ、耳からうなじにかけての肌が泡立つ。自分の穿く下着の特徴を声で聞かされ、秘密を握られている実感を味わう感覚に、おぞましさと共に頬の朱色も増してしく。
「ほら、これなんてどう?」
次は正面からの連続写真だった。
強風が背中に突き刺さり、スカートの前を吹き上げていた時の、捲れる寸前を狙った春菜の正面写真が表示され、男はタップ操作で次の画像へ次の画像へと流していく。一枚ずつ、パラパラ漫画の仕組みのように、画像の移り変わりにつれてスカートは浮き上がる。
突発的な風に驚き、慌てた顔を浮かべた時の、自分自身の表情の記録に、春菜はひどく頬を歪めていた。
白いショーツの三角形が、先端から徐々に範囲を広げていき、レースやフロントリボンの存在が明らかとなっていく。露出度が増すにつれ、画像の中の表情はだんだんと赤らみを増し、完全な丸見えになった時には最高潮に達していた。
「可愛い顔だねぇ? 大慌てみたいな、びっくりした感じの表情で、しかも真っ赤っかなのが素晴らしいよ」
耳裏を撫でる吐息と共に、表情を指摘する言葉まで聞かされて、春菜は頬を震わせる。耳をほのかに赤くして、こんな画像を撮られた屈辱に心まで打ち震える。
「ほら、続きを見よう?」
さらにタップで押し流す。
画像がスライドしていくと、今度は手で隠そうとする動作のコマ撮りで、だんだんとショーツが隠れていく。もう何百枚の画像が流れたのか、春菜には見当もつかない。全ての画像を繋げて動画にすれば、映像として問題なく動きそうですらあった。
スカートが股の上に押さえつけられ、ショーツは一切見えなくなる。
しかし、画像の中にある表情は、その赤みを少しも引かせてはいない。羞恥の余韻を存分に残した自分自身の顔を見ているうちに、春菜の今現在の顔さえも、似たような強張りを帯びていた。
「これ、学校の人に送ろうか?」
「だ、だめ……やめてください……」
春菜は想像してしまう。
いつもハプニングに巻き込まれるリトならまだしも、何の好意もない男子にさえ見られるなど、頭が沸騰しそうである。
「猿山くんとか、校長先生にしようかな? きっと大切に保存してくれると思うし、ネットに上げちゃうのも悪くはないね」
「いや……!」
春菜は涙目になっていた。
「嫌なの?」
そう聞かれ、勘弁してもらうため、許してもらうため、春菜は必死になって繰り返し頷いた。
「じゃあさ、さっきの柱のとこでパンツ見せてよ。自分で捲ってさ」
できるわけのない要求に、春菜は首を横に振る。
「もう気づいてるんだろう? ララとつるんでるくらいだし、宇宙人の存在だって不思議には思わないんだろう? 擬態して別の人間になってみただけなのに、普通の人間だと思って油断したんだろう?」
髪の香りを嗅ごうと、鼻先が後頭部の髪に入ってくる。喋り声から吹き込む息は、髪の隙間に入り込み、うなじの皮膚が犯される。お尻に当たる一物も、腰を打ち付けるフリをしてきたり、あからさまに擦りつけていた。
「見せろ」
有無を言わさぬ命令口調だった。
そして、トゥーサッツ星人は、腕の擬態だけを解いていく。抱きつく腕の片方が、春菜の顎の近くでみるみるうちに色を変え、質感を変え、滑らかなプラスチックのような皮膚となり、指からは長く鋭い爪が伸びていた。
肌を刻んできそうな鋭さの先端が向けられて、春菜は萎縮しきっていた。
「見せてくれたら、画像は消してやるからさぁ」
「…………はい」
春菜は脅しに屈した。
それで消してもらえるから安いじゃないかと、自分自身に言い聞かせ、宇宙人になど太刀打ちできない、助けも呼べない春菜は要求を飲み込んだ。
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