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 良く言えばクールビューティーであり、悪く言えばキツくて冷たい。
 それが美東一菜という眼鏡教師だ。
『あなたの進路志望だけど、今の成績じゃ到底無理ね」
『夢? そんなこと言ってる場合じゃないでしょ』
『推薦は諦めなさい。今からじゃ間に合わないわ』
 美東一菜とはこのように、ばっさりと冷たく切り捨てる言動の数々から、みんなに冷血教師のように思われている。将来に対する熱い魂を語る生徒に対し、賞賛や応援は送らない。冷淡に吐き捨てるような言葉で、夢は夢に過ぎないとあしらってしまうのだ。
「ねえねえ、今度食事でもどう?」
 と、同僚に迫られているのを以前目撃した生徒がいる。それは熱烈なアプローチだったのだが、しかし一菜は相手にせずに跳ね除ける。
「業務命令ですか? それとも、個人的なお誘いですか?」
「もちろん後者の方で」
「私にはまだ仕事が残っていますので、そういった個人的お誘いに乗る時間はありません」
 ひどく無感情だった。
 まるでロボットにそうプログラムされていたかのように、異性からの誘いにはそうそう乗らずに突き放す。相手のことなど見向きもせず、顔を見ることなどなく、書類に目を通しながら片手間のように断っていた。
 そもそも、一菜は恋愛に対して否定的らしい。
『恋愛感情なんて、所詮は男性の持つ女性に対する支配欲求でしかない。所有したい、思い通りにしたい。そんな欲望に付き合う義理は欠片もないわ』
『愛だの恋だの。どういうわけか美しいもののように美化されているけれど、結局は生物上の繁殖欲求に基づくもの。さも素晴らしいもののように語るのはどうかしているわ。あれは単なる生物の習性よ』
 彼女の精神性を象徴するのは、何も恋愛に対する見方だけではない。一菜はかつて、授業中の生徒にこんなことを語った事がある。
『〝命の大切さ〟というものは幻想めいた部分があるわ。それはかけがえのないもの、大切なものであると、そう決定したのはどこの誰かしら? 元々、この地球上や宇宙に〝命は尊いものである〟というルールは存在しない。人間の持つ価値観の中から生まれた、人間のあいだでだけ通用する概念といえる』
『人間自体、地球からすれば数いる生物の一種にすぎない。みんな自分達を高等な生き物のように思っているし、実際に動物を家畜として支配もしているけれど、人は高等だというのは、やはり人間の価値観が生み出したもの。人間にはプライドや自尊心のような感情があるから、豚や猿をさも下等生物のように思い込む。地球や宇宙にとっては、生物に下等も高等もないはずよ』
『人間同士のあいだでは、人間は高等な存在ということになっている。しかし、地球や宇宙そのものの中には、人間を特別扱いするようなルールは存在しない。そういう意味では命の価値はなるほど平等かもしれないわね。命の尊さや人間の高等さというのは、人間の価値観の中での話に過ぎない』
『生きる意味? そんなものは存在しない。自分の主観、感情を納得させるだけの生き甲斐があれば、個人にとってはそれが大きな意味になりえる。だけど〝生きる意味〟という名の目に見えない物体がこの世に存在すると考えるのは、甚だおかしいことだと思うわ。そもそもこの人間社会や地球が誕生したこと自体が偶然にすぎない。全ての事柄に、本来は特別な意味は存在しない。意味というものをつけたがること自体、人間という生物の持つ習性にすぎない』
 つまるところ、美東一菜は愛だの正義だのを信じていない。人間は社会を築き、国家を営み、地球を実質的に支配してはいるものの、人はそういう種類の生物に過ぎない。恋をして、家庭を築き、社会生活を営むのはすべて生物上の習性である。という捉え方なのだ。
 特別な意味、特別な価値観というものを信じていない。人が存在する意味、自分がこの世に生まれた意味、といったような観念など存在しない。そうしたものは、全て人間自身だけが着にする人間自身だけの疑問か概念だ。
『同じ犬にもチワワやトイプードルのような種類がある。人間もまた、様々な種類に分類可能よ。人種、文化の違い、思想の違いなど色々ある。また、同じ日本人でも、例えば宗教を信仰する人間やそうでない人間がいるわね。そうやって、同じ人種同士でもさらに細かく分類し、数限りない種類に分けていくことが可能なのよ』
 完全なまでに生物の一種という見方。
 そんな彼女に対する生徒の反応は、教師としてそれはどうなのかと首を傾げる者もいれば、そうかもしれないと影響を受ける者、まあそうだろうと話半分に受け止める者、そもそも彼女への関心がない者。同じクラス内でも、美東一菜への気持ちは様々だ。
 それはそれで良い教師だ。
 いや、変な人だ。
 彼女への見方はそれぞれだが、その思考に対する賛成や反対はともかくとして、美東一菜には一定の人気がある。
 まず、その美貌だ。
 何者をも見下す冷たい女王の目つきをしているが、きめ細かな肌や紅い唇、全体的に整った顔立ちはモデルか俳優の領域に達している。そんな顔立ちに眼鏡がよく似合って、彼女をどこまでも知的に見せていた。
 体つきも目を見張る。
 シャツを内側から突き破らんばかりに乳房は膨らみ、歩くたびに揺れそうな胸が男の目を引く。内側へカーブした細い腰つきから、丸く大きな尻房、眩しい太もも。一級のグラビアに匹敵するであろう大人の体は、大半の男を掻き立てていた。一菜の思想に関わらず、その体つきを見て一度でも生々しい想像をしない男子はいない。
 男子は見る。
 授業中、教科書を片手に黒板にチョークを走らせる後ろ姿を見つめ、タイトスカートをぴちぴちに膨らませたお尻を誰もが視姦する。そこにパンティラインでも出ていたなら、たまらずに休み時間にトイレへ駆け込む者までいる始末だ。
 男子は見る。
 シャツを内側から盛り上げ、大きく膨らむ乳房を眺める。今にもボタンが弾け飛び、胸元が見えやしないかと、ありえない期待を抱く者も少なくない。
 夏になり、教師も薄着になる時期には、一菜はますます刺激的になって視線を集める。
 半袖のワイシャツになり、汗で肌に張り付いて、透けてくるブラジャーの色に誰もがごくりと息を飲む。背中には紐のラインがくっきり見え、教室を見回り一菜が席まで近づくと、カップの刺繍柄までがシャツに浮き出て、どんな下着を付けているのかがはっきりわかる。
 一菜は性的興奮の対象だ。
 彼女が担任になったクラスなら、ほぼ全ての男子が一度くらいは一菜に興奮した覚えがある。教室で堂々と猥談をするような性格なら、自分は一菜をオカズにすると仲間内に公言さえするのだ。
 冷たい視線がマゾ気質な男を奮わせる。
 はたまたは、それを屈服させたい願望の男が興奮する。
 特に変わった趣向はなくとも、単純にグラビア級の肉体に興奮する。
 ものの考えに共感してのファンもいるが、胸や尻を見て彼女を好きになる男子生徒は数多い。もちろん純粋に教師としても優秀で、授業内容をわかりやすく伝えてくれるため、勉強に真面目な生徒達にもなんだかんだでウケはいい。
 あらゆる意味でのファンがいる。
 それが美東一菜という眼鏡教師であった。
 だが、彼女には秘密があった。

 決して人には言えない秘密の性癖……。

 こんなにも知的かつ冷淡、クールに見られがちな教師に、まさか露出の気があるなどと誰が想像するだろうか。



 
 
 

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