日本で大事件が発生した。
まったく、驚きの話である。
ここ一ヶ月のあいだに銃事件が複数回、爆弾によるビルの損壊は二件も起きて、外国人による暴力集団が摘発されたとのニュースまで流れてくる。
その他諸々、殺人、強盗。
暴力事件のニュースがずらりと並び、世の中の治安が急激に悪化して見える状況に、SNSは当然のように沸き立っていた。あること、ないことを書き連ね、これは何かの陰謀だ、いいや陰謀論など馬鹿馬鹿しいなど、下らない小競り合いはいくらでも起こっていた。
実際、馬鹿馬鹿しい話である。
そもそも、陰謀論のような話が実際にあったとして、わたし達一般人は警察でも秘密捜査官でも何でもなく、宇宙人でも超能力者でも変身ヒーローでもないわけで、要するに何もできることはない。
せいぜい、選挙の時期にあーだこーだと頭を悩ませるのが関の山なのに、下らない議論に熱を上げて、それが一体何の役に立つっていうのか。
でも、わたしが特に馬鹿にしているのは、もっと他にもある。事件や災害に対して清らかかつ高潔な魂を表明して、人様の承認を集めようとする滑稽な行為こそ、わたしにとっては心の冷え切ってならないだ。
「はいはい。正義正義」
なんと下らないことか。
平和、平穏、まあ大事だ。戦争はない方がいい、それも同意する。
事件や事故が多発したり、日本でも戦争が起こって欲しいと、まさか本気で願うほど捻くれてはいないけど、殊更に正義感を謳った書き込みをSNSに投稿して、イイネやリツイートを集めるなんて、マスターベーションそのものである。
面白いことに、私も同じ気持ちです、みたいな返信がずらりと並ぶ。
「あー、くっだらな」
電車の中、SNSを眺めるのにも飽きたわたしは、このあたりでアプリを閉じた。
もうすぐ、目的の駅につく。
大学の休みを利用して、バイト代で貯めたお金を奮発して、これから一人旅を堪能する予定がわたしにはある。
女の一人旅ってわけなので、妙にやたらに事件の多い時期と重なったのは、あまり気分の良いことではなかったりするけども。休みの時期なんて限られているわけであるからして、まさかテロ事件や強盗なんかに巻き込まれるはずはないだろうと、わたしは予定通りに旅行先の目的地へと向かっているわけだった。
わたしにとって大切なのは、陰謀論を語ることでも、ネットで気持ちを表明することでもなく、行き先のホテルで大の字になって寝そべったり、観光地を眺め歩いて写真を撮ったりすることだ。
しかし、まあ困った話ではあった。
やれ刃物だの、薬物だの、そんなものを持ち歩いてもいなければ、そもそも入手を考えたことすらないわたしではあるけれど、これから行く先は空港だったりするわけで、つまり連日の事件のせいで検査が厳しい……らしい。
飛行機に持ち込み可能なものと、そうでないものは一応調べている。
別に問題なく通過して、問題なく飛行機に乗れるだろうとは思っているけど、面倒な検査であれこれと時間を食ったり、偶然にも指名手配犯と顔が似ているなんて言われたら、それはとっても嫌だな、みたいな想像くらいは浮かんでくる。
わたしは何もしてません。
無実です。
何を疑われているわけでもないのに、なんとなーく、今のうちから表明しておきたくなったりする。
『まもなくー』
さて、車内に到着を告げるアナウンスが流れて来る。
都心を離れているおかげか、ほとんどガラガラの座席には、わたし以外にはたった数人がぽつりぽつりと空けて座っている。いくら人がいないからって、堂々と寝そべっているオッサンまでいたりして、うわぁ……とは思うけど、写真には撮らないでおいておく。
そんなことより、電車が停まってドアが開いた。
誰も座席を立つ様子がなく、この車両からはわたし一人だけが降りて行き、そして降りた後ろで電車は次の駅へ向かって走り去る。
「……えーっと、出口はっと」
空港行きの出口は、東口だったか西口だったか。
こういうことを、ふとした拍子に忘れてしまうものだから、いつでも確認できる状態を作っておくのはやはり大事だ。わたしはスマートフォンの画面を立ち上げ、ブラウザのブックマークから地図のページへ移動して、さっと確かめ階段へ進んで行く。
(ま、大丈夫だよね)
空港で行う手荷物検査に頭がいって、なんとなーく、普通より時間がかかったら嫌だな、くらいの想像はしていた。さっさと終わるといいな、手早くお願いしたいな。なんて、そんなことならいくらでも考えていた。
だけどね。
まさか、あんな恥ずかしいことになるなんて、一体誰が想像するんだか……。
*
飛行機の席なんていうものは、ネットで予約を済ませてある。
空港に着いてからやることは、便の出発時間まで待つことくらい何だけど、わたしは改めて思い出す。
「あー。検査かー」
景色や建物を撮るカメラは、わざわざ専用のものは買わずに、スマートフォンで済ませるつもりでいる。だったら、他に荷物として入っているのは、着替えの洋服に下着類、歯ブラシやら化粧水やら乳液やらに、生理用品といったくらいだ。
ああ、あとはモバイルバッテリーや充電用のコードもあったか。
暇つぶしはほとんどスマートフォン。
ゲーム系のアプリも入れているので、時間を潰す必要に迫られても、それ一台で乗り切れてしまう立派な現代人っていうわけだ。
「だるっ」
なんて思いながらも、私は検査の場へと向かって行く。
治安悪化によるテロ対策とやらで、どうも事前に検査を受けた上、わたしは何一つ危険物など持っていませんとする証明書を貰わなければ、飛行機には乗ることができなくなっているらしい。
空港内で、何やらうるさくアナウンスが入っていたり、ホームページを確認すると、そんなことが書いてあったりで、もう仕方がないので受けに行く。
大丈夫、大丈夫。
どうせ、ちゃっちゃと終わるとは思いつつ、でもやっぱり、テロ対策なんて聞かされてしまうと、少しくらいは思うわけじゃないか。
わたしのどこがテロリストに見えますかぁ?
って、検査担当の連中に迫って、小一時間問い詰めたい、みたいな想像が頭に浮かぶ。
あるじゃない。
特に実行するわけではないけど、頭の中で、想像の中だけで腹いせをするみたいな。頭の中でなら、腹が立つという理由だけで人をぶっ殺しても問題ないし、逆さに吊して生かさず殺さず拷問したっていいわけで。
といっても、いざ検査を受けにやって来てみれば、まあ簡単に済みそうに見えた。
金属探知用のゲートをくぐって、銃だのナイフだのがトランクに入っていれば、ブザーみたいな音がビーって鳴ったりするんだろうね。一般人が持っている金属なんて、スマートフォンや携帯ゲーム機、小銭にアクセサリーを除いたら、他に何が残るだろう。
まあ、とにかく。
ちゃっちゃと終わって下されば、あとは何だっていい。
わたしはゲートに足を向け、くぐり始めた。
警察なのか保安官なのか、よくわからない制服を着たオバサンの見守る前で、ささっとくぐり抜けたわけなんだけど……。
ビィィィ……!
「は?」
声が出ちゃったね。
いや、だってね。
ナイフはまず持ってすらいない。
そもそも、買おうと思う人が少ないはずで、だから買える場所すら知らない方が普通なわけで。拳銃に至っては、まず入手ルートの想像がつかない。ピアス、指輪なんかも付けていないから、身に覚えのある金属といったら、硬貨とかモバイルバッテリーとか、本当にその程度のものしかない。
「ああ、ごめんなさい?」
オバサンが申し訳なさそうに告げてくる。
「今ね? 感度を上げてあるんですよ」
「えーっと、つまり指輪とかピアスとかでも反応する感じで?」
「そうなのよ。まったくねぇ? やり方が細かいと、現場のうちらだって面倒なのに、まあ仕方ないわよねぇ?」
なんだろう、このオバサン。
なんていうか、公園とか住宅付近で井戸端会議を始めたりしそうっていうか。気が良いというか、お喋りというか。
わたしって、そういうペラペラやかましい感じのお喋りをするタイプではなくって、もう少し静かに過ごしたいタイプといいますか、
そういうノリ、やめてもらっていいですか。
「わたし、アクセサリーは付けてないんですけど……」
「あら、そう? だったら、まずスマホはあるわよね? 今、それも反応しちゃうのよ」
「はぁ……」
「充電コードとか、細かいものも一度除けておいてもらっていいかしら?」
「……はい」
ああ、面倒臭い。
さすがにダルすぎるんですけど?
わざわざトランクの中身をひっくり返して、細かいものを外に出すとか。あー、何をどのあたりに入れたっけ。結構、適当に詰め込んであるから、ちょっと時間がかかってしまう。
わたしは金属に該当するものを引っ張り出して、テーブルの盆に置いていく。
で、もう一度ゲートを通るわけなんだけど。
ビィィィィ………!
本当に意味がわからない。
金属量が少なくても反応するっていうのはよくわかったけど、何もかも手放したはずなのに、まだ音が鳴るって、もう本当に意味がわからない。
これ、壊れてるんじゃないの?」
「ベルトかしらね?」
「……え」
「ベルトにも金属があるでしょ? そういうの、反応しちゃうのよねぇ?」
まったく仕方ありませんわよねぇ、旦那さん。
嫌になっちゃいますねぇ。
なんてノリで言われても、まさかね。
まさか、ベルトを外せなんて言い出しませんよね?
「ちょっと詳しく調べることになるから、悪いんだけど別室に来てくれないかしら」
「……え、いやその」
え、なに? どういうこと?
別室?
「ああ、大丈夫よ? ここじゃあほら、衣服を脱げなんで言えないでしょう?」
「それは……大丈夫じゃないんじゃ……」
わたしはたぶん、思いっきり青ざめている。
いや、だってね。
別室って……。
「さあ、こっちよ。ああ、荷物は持っていらっしゃいね?」
オバサンはわたしのことを別室に案内して、連れて行こうとしきりに手招きをしてくるけど、当のわたしは固まっていた。
いや、きっと大丈夫だとは思うんだけど、実は何か疑われてる? 指名手配犯の写真によっぽど似ているとか、そんな話でもあったりします? それで、無実の罪で色々厄介なことになったりなんて……。
やだ、ちょっと……。
心がざわざわする。
何も悪いことなんてしていないし、だいたい犯罪とは無縁に生きてきたっていうのに、どうしてわたしがこんな気持ちを味わう必要があるっていうの。この、今にも悪事が発覚しそうで落ち着かない焦りみたいな、そんな感覚をどうして私が……。
*
気が落ち着かない。
別室検査だからって、深い意味はきっとないとは思うんだけど、本当は既に犯罪者扱いされていて、証拠を探られてるんじゃないかって怖くなる。何の隠し事もないっていうのに、何かがバレそうみたいな焦りが湧いてくる。
わたしの服装は、たぶん女っ気がない。
スカートとか、あんまり好きではなかったから、高校を卒業してからはもう一度も履いていない。適当に選んだ白いシャツに、上からグレーのパーカーを羽織って、あとはジーンズを穿いてハイ終了。
ファッション雑誌も、ネット情報も、なんにも参考にしていない。
なんとなーく、手頃っぽい価格の服を見つけて、それを適当に合わせただけの服装で、気合いも何も入っちゃいない。
で、そんなわたしの服装には、さっきから金属探知機がかざされている。
さっきまではゲートをくぐり抜ける方式だったのが、今は虫眼鏡みたいな形のものを握って、それをわたしの周りに這わせてくる。大がかりな装置と、持ち運び可能っぽいものとでは、大がかりな方が性能は高いんじゃないかって思うけど。
それとも、小型の方がピンポイントな部分を正確にやれるんだろうか。
わたしにはよくわからなかったけど、とにかく早速反応があったらしい。
「やっぱり、ベルトみたいね?」
オバサンは言う。
「外してもらってもいいかしら?」
いやいや、それは抵抗がある。
同性相手だし、そりゃ我慢しようと思えばできるっていうか。たぶん、そう大袈裟に恥ずかしいわけではないと思うけど、検査と言われながら脱がされるって、やっぱり何もしてないのに悪者扱いされているみたいで、気分は良くないっていうか。
「ね、いいかしら?」
しかし、このオバサンは同じ言葉を繰り返してきた。
なんか圧をかけてくる。
やばい、ちょっと怖い……ニコニコと人当たりの良さそうな笑顔だけど、これ絶対に苛ついてる。腹の底では「さっさとしろや」とか思ってて、それを表に出していないだけなんじゃないかって、もう不安で不安でならなくなる。
ビビりすぎ、かな……。
「どうしてもですか?」
「あら? 何かやましいことでも?」
「……え」
「いるのよね? そうやって、抵抗のある素振りを見せびらかして、そんで結局は薬物とか持ってる人って。別にあなたがそうとは言ってないけど、こっちも仕事でやってんのよ?」
駄目だ、本当に怖い。
表情は一切変わってないのに、声色だけが豹変してて、物凄く威圧的になっている。
「……すみません」
「規則なのよ? 規則」
「は、はい……ベルトを外せばいいんですよね……」
……負けた。
だいたい、たぶん意地を張っても時間がかかるだけだろうし……。
「わかればいいのよ? わかれば」
このオバサン、絶対サディストだ。
なんて、まさか口に出せるわけもなくって、わたしはただただ、これ以上脅されないためだけにベルトを外す。幸い、ジーンズは腰にぴったり合っているから、少しくらい位置は下がるかもしれないけど、ベルトがないせいで脱げるってことはない。
まあ、引っ張れば脱げちゃうけど。
ベルトの金具部分を触って、それから引っ張り抜いていく最中、オバサンはやけにわたしのことをニヤニヤと、ジロジロと見てきている。いやらしい顔ってわけでもなく、孫でも微笑ましく見守ってるんですか? ってな表情で、じーっと見て来ているわけだった。
「さぁて、次は上半身かしらね?」
オバサンは再び金属探知機を近づける。
後ろから背中を調べ、正面に回って腹や胸を調べてくるんだけど、どうしてまた――。
「あら? 何の反応かしら?」
なんで反応があるかなんて、私にだってわからない。
だって、荷物はそこに置いてあるし、スマホだって一旦しまってあるわけで。
「ネックレスもないし、ブラのワイヤーかしら?」
「ワイヤーって、そんな……」
確かに、わたしの今日の下着って、確かワイヤー入りだったと思うけど、そんな金属にまで反応するだなんて。
だったら、パチンコ玉みたいのでも反応するんですか?
ビーズみたいな小さいものでも?
「じゃあ、上半身裸ね」
ま、待って……。
「あの、さすがに……」
「検査を長引かせたいの? こっちだって、仕事が長引いて困るのよ。アンタはとっとと問題ないことを照明して、私はさっさと仕事に戻る。それでいいでしょう?」
「は、はい。おっしゃる通りで……」
駄目だ、勝てない。
わたしはその、ちがうんだ……負けてるんだ……。
そりゃね、意地を張って検査を拒否して、挙げ句の果てに飛行機には乗れずじまいなんて展開にはなりたくないし、だったら、さっさと終わらせた方がいいんじゃないかって、そういう理屈くらいわかってる。
だから、頭では実際そういう判断をしてるんだけど、心の底では逆らってやりたいみたいな気持ちがあって、でもオバサンが怖くて萎縮しちゃってて、つまり圧力に押し負けている状態でありまして――。
わたしは今にも泣き出しそうな気持ちになったりしつつ、グレーのパーカーから脱いでいき、続けてシャツをたくし上げていく。
うぅ……ジロジロ見てる……。
中学時代とか、高校時代だって、体育とか水泳で着替えをするけど、同性の視線なんて気になったことがない。まあ着替えは服の内側でブラを外したりとかで、隠しカメラがあっても肝心なものは何も映らない脱ぎ方だったりはするわけだけど。
修学旅行の温泉なんかでも、そこまで恥ずかしかったわけではない。
多少は恥じらった記憶がないでもないけど、滅茶苦茶に恥ずかしかった記憶は特にない。
でもね、今は温泉の記憶以上に恥ずかしいといいますか。
「あらあら、まあまあ」
羨ましそうな、微笑ましいものでも見ているみたいな、そんな顔でオバサンはわたしの肌を、それはもうジロジロと観察してくる。同性の肌なんか見て、何がそんなに面白いのか。実はレズって風な、いやらしい目つきって感じでもないし……。
「いいわねぇ? 私も若い頃はそんな肌だったのよ?」
「そ、そうですか……」
いや、知らん。
でも、興味ねーよ。なんて言ったら、このオバサン、キレるんじゃないかって……。
「さ、あとはブラジャーね? あなたって、筬島環さんだったかしら?」
検査直前に定時した身分証で、名前を覚えていたらしい。
「環さんの胸、可愛らしいんでしょうねぇ?」
もうこれ、悪意のないセクハラでは。
本人には悪気なんてちっともなくて、羨ましいとか、若くていいね、みたいな。そんな気持ちで言ってるだけなんだろうけど、ニヤニヤした顔で人の脱衣を凝視して、こうしている今だって、わたしがブラを外す瞬間を待ち侘びているあたりに、もうなんていうか、セクハラオヤジに不快な言葉をかけられたみたいな、そういう嫌悪感が湧いてきまして。
だいたい、一応ちょっとは恥ずかしいんですけど。
ジロジロ見られながらなわけだし。
なんかこう、言った方がいいんだろうか。
いや、でもこの人、絶対キレたら怖いし……。
わたしは何も言わないまま、仕方なしに両手を後ろにやっていき、ホックをぱちりと取り外す。ライトブルーのブラジャーを手放すと、好奇心に満ちた視線が胸に刺さって、もう本当になんて言っていいのやら。
「あらまぁ、可愛らしいわねぇ?」
まるで近所で犬でも見かけて、それが可愛くてたまらないようにして、わたしの乳房を称えてくる。
いや、勘弁して……。
悪気がないのはわかる。何の悪意もないのは、よーくわかる。
でも、いくら同性だからって、ジロジロと顔を近づけてまで観察されたら、さすがに羞恥心が湧いてくるわけでありまして。
「大きすぎなくて、薄すぎることもなくて、ちょうどいい大きさよね? それに形もしっかりしてて、とっても色っぽいじゃない。羨ましいわぁ?」
「そ、そう……ですか……」
いくら褒められたって、素直に喜んだり、照れたりとかしている気分じゃなくって、わたしとしては早く検査に終わって欲しい。
「あ、そうそう。金属だったわね」
オバサンは思い出したように金属探知機を握り直して、テーブルに並べた衣服を調べる。下着のワイヤーに対する反応だったかを確認して、実際に改めて同じ反応が出て来た上で、さらに胸にもかざされた。
いやいや、乳房なんか調べましても、さすがにそこで鳴るわけがない。
(待って、フラグ?)
なんてことを思ってみるけど、しーんと静まったままで終わるという、極々当たり前の結果となった。
「物を飲み込んだりして、体内に金属を入れてくる例があるのよ。今のはその対策ね」
上半身を一通り調べ尽くして、次にオバサンが目を向けるのは、なんといっても下半身なわけである。
また、下半身だ。
ベルトは外してあるわけだけど、何だか嫌な予感がした。
確か、ジーンズの留める部分とか、チャックの部分とか――。
「あらぁ」
オバサンは感嘆でもしたように、大きく開いた口を手で塞ぐ。
「つまり……こっちも……?」
「ええ、ごめんなさいね?」
「さすがに抵抗が……」
わたしの口から、つい反射的な言葉が吐き出されていた。
いやもう、それだけ抵抗があったってことである。
「あら、でも規則よ?」
「どうしてもですか?」
「どうしてもに決まっているでしょう? あんまり私を困らせないで?」
目は笑っているものの、オバサンの声には有無を言わせぬ圧がある。
手こずらせようとする気配を出すと、それに応じた圧力をオーラとして放出する能力があるらしい。
やっぱりわたしは逆らえず、涙ながらの気持ちになって、ジーンズの方も脱ぎ始める。これを脱いだらショーツ一枚、何も悪いことなんてしていないのに、正直に言って罪人としてひんむかれている気分しかしなかった。
「いい脱ぎっぷりね」
だって、脱がなきゃ終わらないじゃん。
「さあ、て。それじゃあ、確認といきましょう」
オバサンは何がそんなに楽しいのか、ウキウキとした顔で金属探知機をショーツにかざす。わたしのグレーの周りを虫眼鏡のようなリングが徘徊して、ボーダー柄を間近から観察されているような、居心地の悪い気分になってきていた。
(最悪すぎるんですけど……)
同性のオバサンだから、何とか我慢しているけど。
こんな身体検査みたいな真似って、てっきり監獄の中でしか起きないことだと思っていた。というか、監獄の中でだって、周囲の人間が人権についてうるさかったりするものだと思っていたのに。
(もう死にたいなぁ……これ……)
いっそ、そんな気持ちにすらなってくる。
「うん、大丈夫みたいね? それじゃあ、こっちはっと」
ショーツからは反応が出ないことを確かめると、オバサンは再びテーブルの方へ移って、そこに畳んで置いてあるジーンズにやはりかざした。特にチャックの部分を重点的にやることで、反応が出て来た原因は、そこであることを確認しているわけだった。
*
散々な目に遭ったけど、さすがにこれで終わったはず。
早く服を着替え直して、時間が来たら飛行機に乗って、それで予定通りに旅行先をフラフラして、ここで起きたことは全て忘れよう。
なんて思っていたわたしにとって、次にオバサンの言葉は絶望というか、追い打ちというか。
「それじゃあ、最後に服を調べるから」
意味がわからなかった。
「もう調べたんじゃ……」
脱いだものに金属探知機を当てたりして、金具やワイヤーへの反応だったことを確かめて、もう十分に調べている。
だというのに、オバサンはさっさと衣服を掻き集め、重ね合わせたものをどこかに持ち去ろうとしているのだ。
他に何をやることがあるのか、マジにわからない。
「あのっ、一体……」
「念のために、これも別室で調べてくるから」
「は?」
いや、だから調べるって何?
何をどうするつもりでいるの?
それを聞きたいんだけど?
「大丈夫よ? 五分もしないで終わるから、待っていてね? 環ちゃん」
なんて言って、オバサンは言ってしまう。
着るべき衣服を持ち去られ、こんなところで裸のまま残されて、わたしはたまらずしゃがみ込み、屈辱に震えていた。ただ呆然とした顔でオバサンの背中を見送るしかないのであった。
「なんて扱いなの……なんて最悪なの……」
わたしは今更になって腕に胸を覆い隠した。
だって、こんな格好は落ち着かない。お風呂場でもなく、トイレでもなく、家でもなく、服を着ているべきはずの空間で、こんな下着一枚でいるみたいな、本当に心許なくて仕方のない気持ちなわけだった。
五分って何?
本当に何を調べる気?
わたしには本当に思いつかなくて、ただただひたすら、居心地の悪い時間ばっかり過ごして、じっとしゃがみ込んでいた。着るべきものが手元になくて、持ち去られてしまっている状況は、わたしを物凄く惨めな気持ちにさせていた。
実際、オバサンが戻って来たのは、本当に五分かそこらだったとは思う。
思うんだけど、わたしはずーっと惨めな思いをしていたわけで、服を返してもらうなり、わたしはかなりの超スピードで着替えていた。もう一秒だって肌は晒していたくない。そもそも、露出度の高いセクシーな服装ってものは、わたしはあんまり好きじゃなくて、谷間を出すとか太ももを見せるとか、そういうものには憧れすら抱いていない。
一瞬にして着替えを済ませ、わたしは本当にさっさと部屋を出ていった。
「ご協力ありがとうございました」
なんて事務的な言葉をかけられたけど、わたしはもう無言で出ていったよ。
皮肉とか嫌味を言ったら、あのオバサンは怖い圧力オーラを出してくるし、仕返しってほどでもないけど、ちょっとでも意思表示をしようと思ったら、わたしにはそういう態度の取り方しかできなかった。
はあ、とんだ災難だった。
こんな風に身体検査みたいな真似をされるのと、電車で痴漢にでも遭って、見知らぬオッサンに尻を触られるのとなら、一体どっちがマシなのか、正直本当にわからない。それくらい不快というか、惨めな気持ちを味わい尽くした。
せめて、さっさと忘れよう。
で、そう思っていた時なんだけど……。
「へ?」
その瞬間、後ろから妙な衝撃みたいのが当たってきて、わたしはまず先にきょとんとして首を傾げていた。お尻に当たってきた衝撃は、何やらボールがぶつかってきたくらいの、ものだったけど、一体何がぶつかってきたのか。
いや、それだけじゃなくてね。
何か、引っ張られたみたいな感じがした。
それと、足元が妙に涼しいというか、すーすーするというか。足首に妙な感覚があるというか。とにかく、よくわからない感じがあって、わたしの尻にぶつかった物の正体は、一体なんだっていうのか。そのせいで何が起きたのか。それをすぐに理解する必要があると思って、とりあえず下を見た。
「は?」
まず、そんな声が出た。
だって、だってだよ?
別室とやらを出て来てから、ロビーフロアにまで戻ってきてね。周りにはそれなりに人が行き交っている状況で、これってさすがにないんじゃないか。ついさっきまでの試練を乗り切って、やっとのことで惨めな思いから解放されたっていうのに、これは本当にないんじゃないかってショックでならない。
なんでジーンズが脱げてるわけ?
いや、わけがわからない。
だってわたし、ベルト――締めてない!? 足元を見てみる限り、足首までずり下がったジーンズからは、ベルト穴を通っているべきベルトが見当たらない。
なんで?
あ、ああ……!
わたしが、わたし自身が、さっさと別室を出たいあまりに締め忘れていた!
「こら!」
そして、男の怒声が響く。
ぎょっとして振り向くと、中年くらいの男が大慌てで駆けつけていて、あまりの形相に心臓が飛び出そうだった。わたし、何もしてないはずなんだけど、反射的に身が竦んで、体が恐怖で固まってしまっていた。
でも、どうやら怒っている相手はわたしじゃなくて、わたしの足元にいる子供らしい。
やっと、状況に整理がついてきた。
要するに、はしゃぎまわって走る子供がいたもんで、その子供がわたしの近くで転んだっていうわけだ。場所が悪かったので、その時に顔が尻に当たってきて、それをわたしはボールがぶつかった衝撃みたいだと感じたわけだ。
で、倒れる際に、子供は反射的に何かを掴もうとしたんだろうね。
倒れる時って、手がそういう風に動くもんだけど、よりによってジーンズが掴まれてしまったわけで、しかもわたしはベルトを通り忘れており、一体どんな恥ずかしい状況になっているのかは、あとはもう言うまでもない。
(いやぁぁぁぁぁ!)
わたしは顔を覆っていた。
みるみるうちに赤らむ顔を覆い隠さんばかりにしつつ、それでいて指に隙間を作っている自分自身の心理だなんて、わたし自身にだってわからない。
「すみません! すみません!」
パパさんが必死に謝ってきている。
そりゃ、だって自分の子供が人にこんな風に迷惑をかけてしまったら、さぞかし心臓が冷えるだろうって、もちろん想像はつくんだけど。謝ることの方に必死で、人の下着なんて気にしている状況にはないって、それも様子でわかるんだけど。
それにしたって、パパさんの視界にはわたしのショーツがばっちりと入り込んでいるはずなわけであって。
それどころかね。
周りを見れば、「お、なんだなんだ?」「なんかあったのか?」みたいな、急に起こったイベントに注目が集まるみたく、チラホラと視線が集まっていて、中にはスマートフォンを向けてきているクソ野郎までいて、わたしは一体どれだけ必死で、大慌てでジーンズをずり上げたことか。
ああああああああああ!?
最悪、最悪、最悪!
あんな別室検査を受けた上、衆人環視にパンツ見られるって何!?
最悪……最悪……最悪だぁぁぁぁ!
コメント投稿