プロローグ

 焦りすぎたのだろうか。
 緋田美琴は水着に着替え、スタジオの白幕を背にシャッターを浴びている。何度もポーズを変えてはその都度撮られ、時には谷間を強調して、時にはお尻をアピールさせられる。こんな風に体を売りにするなど考えた事がなかったのに、けれどアイドルを続けるには他にどうしようもなかった。
 美琴は一度、元々の事務所をやめている。
 あの場所で、美琴は伸び悩んでいた。
 ユニットの相方だったルカには人気が出ていた一方で、美琴のスケジュールは空白が多く、ついにはユニット活動休止、しかも再開の目処が立っていないとは、それは解散も同じではないか。
 さらにユニット休止に伴って、美琴にはとある提案が持ちかけられた。
 歌やダンスなどの指導である。
 つまり、トレーナーになれと言われたのだ。
 それを拒んだ場合、他に仕事はなかったそうだ。
 だとしたら、もうその事務所では美琴のやりたい事ができなくなる。
 ルカのいる事務所を離れ、新天地を求めようと決めたわけだが、そう簡単に良い場所は見つからない。ここぞと思う所があっても面接やオーディションに通るとは限らず、様々な事務所に顔を出していくうちに、やっと見つけた先でこう言われた。

「うちではね、グラビア活動もやってもらうよ?」

 正直、抵抗があった。
 だがこうも言われた。
「実はね、君の歌やダンスの技術は知っている。見たことがあってね。君が来てくれるなら、うちとしては願ったり叶ったりだよ」
 面接は好感触だったのだ。
 歌とダンス、完璧なパフォーマンスで誰かに感動を与えたいのが美琴である。その事務所はそれを尊重すると約束をしてくれたが、しかしそこは所属アイドルに水着撮影をやらせる場所でもあった。美琴にしてみれば、望みの活動をさせてもらえる事といわば引き換えに、少しばかり際どい写真を撮らせる流れになったのだ。
 肌を晒す活動は不本意でも、おかげでステージに立つ仕事が回ってくる。以前の事務所であれば、もうチャンスなどなかった以上、あまり贅沢は言えまいと、美琴はグラビアの仕事を拒んでいない。
 その日もスタジオに入り、美琴は衣装の水着でシャッターを浴びているわけだった。背景の白幕を背に、カメラマンの構えるカメラに向けて、いくつものポーズを取り続ける。パシャリと聞こえるたびに腕や腰の形を変え、体の向きや角度を変え、グラビア誌で肥やした引き出しから、表情さえも作り込もうと意識していた。
 美琴はカメラの向こう側に笑顔を向けたり、挑発的に誘うような眼差しを送っていた。自分の写真が掲載され、それを鑑賞するファンを意識して、唇や眉の形すら良いものにしようと仕事をこなしていた。
 だが少し恥ずかしい。
 マイクロビキニ――とまではいかないが、胸を隠すための三角形が心許ない。横乳も下乳もはみ出すように、面積が微妙に小さく作られている上に、お尻の露出も範囲が広い。Tバックよりはマシにせよ、通常のショーツに比べて尻たぶのはみ出す量が多いのだ。 
「いい顔だねー? お? 今のウィンクなんて、ちょーっと勘違いしそうになっちゃうなー?」
 被写体への声かけが多いカメラマンは、男性相手ならイケメンや色男といった言葉を多用して褒め称え、ならば美琴には笑顔の良さや色気について言ってくる。少しばかり過激な水着でそうした言葉を送られると、どことなく羞恥を煽られている気になるのだ。
 普通の水着にならもう慣れた。
 それでも最初は恥ずかしかったが、美琴以外のアイドルや俳優は皆、それを数ある仕事の一つとしか捉えていない。周りのスタッフ達も、人が水着だからといやらしい視線を送るでもなく、ただただ仕事としてこなしている。
 お尻や胸の色気について、機械の性能や食品の味を語るような気持ちで、商品の魅力を気にするビジネスの視点がほとんどなのだ。たとえ内心では興奮したり、実は勃起していても、それを表に出す男性はいなかった。
 あくまで仕事の一環に過ぎない空気の中では、もはや過剰に恥じらう方がおかしいような気になって、普通の水着であればすぐに平気になっていた。
 現在の事務所に所属してから数ヶ月、グラビアの仕事はとうに初めてではない。
(だから、慣れたつもりだったけど……)
「大胆に四つん這いでお願いね? いいよ? その肩越しの視線、男なら誰だって誘われちゃうねぇ?」
 カメラマンに従って、尻を突き出し肩越しに振り向けば、美琴の頬は自然と染まった。
(やっぱり恥ずかしい……)
 今のお尻の布面積は、通常のショーツとTバックの中間とでも言うべき細長い二等辺三角形だ。尻肉の露出具合がいつもより激しいせいで羞恥心が込み上がる。
「最高の恥じらいだねぇ? こりゃベストショットだよ!」
 カメラマンの元気な声に、美琴は思わずにはいられない。
(だって、本当に恥ずかしいし……)
 その上、四つん這いの他にも大胆なポーズの要求が多く、腕で乳房を持ち上げるようにして、谷間を強調するポーズをさせられた。壁に両手を当て、腰をくの字に突き出しお尻を強調させられた。
 M字開脚をさせられた。
 バナナを握って、性を彷彿させる形を取らされた。
 恥ずかしかったり困ったり、本当は拒みたくなってくるようなショットのおかげで、ようやく撮影が終了し瞬間の安心感といったらなかった。
 だが、こうした仕事だろうと続ける必要がある。
 たとえ今より過激になって、本当にTバックを穿かされる日が来ようとも、その代わりに望むような仕事は回してもらえる。体と引き換えの感覚はあるものの、現在の事務所ではこれが基本だ。
 何も美琴だけではなく、所属アイドルのほとんどがグラビアの仕事をやる。事務所やマネージャー、他のアイドルや俳優にとって、やはり数ある仕事の一種に過ぎない。妙に肌を露出したり、性を彷彿させる写真の撮影は男性アイドルにも求められ、今の事務所から出ている雑誌では、裸にワイシャツを羽織ったイケメンのセクシーショットがいくらでも載っている。
 誰でも肌を出している。
 出さない方が珍しいのが今の事務所だ。
 だから何も言わずに粛々とこなしていた。掲載された写真を見てみれば、目を覆いたくなるようなセクシュアルなものばかりで、これが世に出回っていると思うと本当に、何と言ったものかわからないが、とにかく美琴は何も言わない。
 本当はもっとライブの仕事を増やし、グラビアの仕事は減るようにしたいのだが、残念ながらここでも他のアイドルに人気が出て、美琴の存在は埋もれ気味だ。もっとライブ方面で売れていたなら、グラビアに出るより歌って踊る方が収益に繋がると強気に言えたが、そうではないから言いたくても言い出せない。
 不満に近い負の感情を密かに抱えていた。今の新しいマネージャーにも、その胸の内は明かしていない。
 そんなある時、スケジュールを確認するとグラビアの仕事が増えていた。
(どう、しよう……)
 この調子では逆にグラビアの方が増えていき、いつしかダンスと歌の機会はなくなるのではないか。
 前の事務所を離れたのは、望みの活動が継続できないとはっきりわかった事がきっかけだ。
 まさか、ここでも同じ流れだろうか。
 この事務所をやめたとして、次はどこへ行けばいいのか。二度目、三度目の移籍が出来たとして、そこでなら望みの売れ方ができるのか。
 そうやって転々としていくうちに、一体何年経ってしまうのだろう。二十四歳にもなれば、年齢というタイムリミットが気にかかる。
 そんな不安を抱えた矢先の事だ。

「キャンセル、ですか?」
「ええ、そうなの」

 現在のマネージャーから申し訳無さそうに、グラビア撮影中止の話が来た。ライブの売れ行きが物足りないから、代わりにグラビアを増やされたと思ってみれば、そのグラビアすら減り始めた。
 マネージャーの顔を見ればわかる。
 グラビアが一件キャンセルになって、代わりに別の仕事が入ったわけではない。
 スケジュールに空白が出来たのだ。
 このままでは不安が現実になる。
(なんとか……しないと……)
 どうすれば打開できるだろう。
 どうしたら道が拓けるだろう。
「ところで緋田さん。ちょっと話があって」
 マネージャーは何やら言いにくそうに、躊躇いながら話を切り出そうとしていた。
 前の事務所では、これと似たような流れでトレーナーになれと言われた。では今回は一体何を言われるかと、美琴は不安に駆られていた。
「話って?」
「うん、あのね? あなたに会いたいという人がいて、良い話といえばそうなのよ。仕事に繋がる可能性があって……。といっても、本当に繋がるかは心象しだいってところなんだけど」
 マネージャーは妙に歯切れが悪い。
「つまり私に興味を持ってくれている人が?」
「そういう事ね。あなたのダンスと、歌と、それからグラビアを見て、上の人が関心を示したの。その人が言うには、売れるはずの素材を活かせていないのは、やり方が悪いからだって、あなたのプロデュースについて考えがある風でね。商才は確かな人だから、実際にその人のおかげで人気がぐっと上がった子もいて……」
「いい話なのに、暗い顔。その人って、率直に言ってどういう人なの?」
 言葉ではチャンスを語っていながら、その表情は明るい未来を口にするものではない。
「どういう人かっていうと、そうね……。自分がプロデュースするアイドルについて、深く知りたがる人かしら? なんていうか、必要以上に……」
「それはプライベートに踏み込むって意味?」
「っていうのは、少し違うかな? もちろん、プライベートもある程度は知りたがるけど、そこは根掘り葉掘りって程ではないと思うわ」
「なら、もしかして……」
 一体どんな話が持ちかけられようとしているか、それを察しつつある美琴は言葉を失い俯いた。
「たぶん、あなたの思っている通りの話よ?」
 言い出しにくいわけだ。
 だが、なまじチャンスではある分だけ、言わないわけにもいかなかったのだろう。
「そう、なんだ。本当にあるんだね、そういう話」
 迷っている自分がいた。
 いわゆる汚い話だ。美味しい飴をチラつかせ、そうした取引を持ちかけてくる男など、進んで受け入れたい女性が世の中にどれほどいるだろう。胸中には拒否感が湧いていて、本来ならば即座に突っぱねているところだが、焦りのある美琴にとっては、やはりぶら下がった飴が魅力であった。
「ねえ、マネージャー。私がこのチャンスを拒んだ場合、それでもきちんと売れると思う?」
「それは……。ちょっと、約束できる話じゃないわ」
「そうなんだね。うん、そっか……」
 美琴は自分のいる世界をこう感じていた。
 壁を隔てた先から、歓声や笑い声、色とりどりの声が聞こえてくる。だから壁を越えた先の世界へ行きたいのに、いつまでも高い壁に囲まれたまま、閉塞感ばかり味わう自分がいる。
 マネージャーが持ち込んできた話は、閉塞感からの解放を意味するだろう。
 しかし、つまりそういう方法で売れたとして、狭い場所に閉じ込められる息苦しさから、また別の苦しさに変わるのではないだろうか。
 かといって、最後まで売れる事なく、五年六年と経っていき、鳴かず飛ばずのまま三十歳を超えた先の未来を考えたら、別の苦しさを受け入れてもチャンスに手を伸ばした方が、お利口な判断という事にならないか。
「緋田さん。無理にとは言わないわ? 向こうだって、別に必ずしも会ってもらえるとは思っていないみたいだし。というより、会った後で印象を下げる方がまずいくらいで、断るなら今のうちというか……」
 マネージャーの心境は複雑そうだ。
 自分の担当するアイドルに、わかっていながらそうした話を持ちかけるなど、彼女には心苦しいのだろう。
 確かに美琴としても、そうした売れ方をあえて望みたいわけではない。そこに凄腕のプロデューサーがいたとして、体と引き換えに目をかけてもらうより、もっと純粋な魅力や実力でチャンスを手にしたかった。
 だが、それはもはや望めない。
 目の前にぶら下がる飴を無視する余裕など、今の自分にあるだろうか。もっと焦らなくてはならない今の美琴に、飴へ伸びかけた手を引っ込める真似はできなかった。
 抵抗はある、大いにある。
こんな形で誰かに抱かれるなど、歓迎できるわけがない。
(どう、しよう……)
 逡巡はしばし続いた。
 目を瞑り、その方法で売れた場合の事、それでも売れなかった場合、この話を蹴った場合についてなど、じっくり思考を巡らせて、その答えは浮かび上がった。
 美琴はお利口な道を選んだ。
「会おうかな。私はきっと、そうした方がいいだろうから」
「ごめんね? 私がもっとやり手だったら……」
 話を受けると決めた瞬間、マネージャーは本当に申し訳無さそうな顔をしていた。
(早速、別の苦しさだ)
 自分のせいで人の親が死んだような顔をされては、こちらの方こそ悪い事をした気になる。
「とにかく、セッティングはしておくわ。チャンスを掴めるといいわね」
 本当にこれで良かったのか、他に道はなかったのか。薄暗い気持ちが既に胸中には漂って、美琴は息苦しくなりつつあった。