成人の儀――それは、あらゆる文化や民族のあいだによって、歴史上広く行われてきたとされる儀式である。
儀式とは、それまでの自分を殺し、新たな自分に生まれ変わることを意味する再誕の象徴であることがしばしばであり、成人の儀もまた、特定の試練や祭りを通して、子供から大人へと変化を遂げるものである。
一口に成人の儀といっても、その内容はしばしばだ。
獣を狩り、その牙を持ち帰ってこそ一人前の大人と認められる民族がある。単に伝統の式典を行えば良い村もある。いずれにしろ、儀式行為とはその土地の歴史を背景に発生するものであり、生活様式との関わりも珍しいことではない。
そういった点では、狩猟中心の生活がわかりやすい。
村の食糧事情を支えるのは弓や槍を使った狩りであり、一人で立派に獲物を獲ってこそ一人前になる。そこで狩りの内容を試練として、成果を持ち帰ることで初めて大人として認められるのは、いわば社会の構成員としての参入も意味している。食料事情を支えるための、働き手の一人となるのだ。
しかし、時代が変化するにつれ、多くの国々で成人の儀は廃れていった。
電気や水などのライフラインが整備され、デジタル技術を駆使した端末を持ち歩くような都市においては、個人が狩猟を行う必要はなく、あえて参入の儀式を挙げるとするなら、それは就職活動くらいなものだろう。
そして、やがてサラリーマンとなり、会社で働く本人達は、自分が儀式を行ったなどとは思っていない。歴史的な伝統儀礼のイメージなどどこにもなく、単純に面接を受けて合格するかしないかだ。
発展した生活が当然であればあるほど、儀礼的な行為は本の中の出来事でしかなくなっている。軍が行う式典や、祝日に行うお祭りなども、儀式・民族伝統というよりは、単にイベントの期日として見做されやすい。
成人式を行う国もあるものの、やはり若者の集まる『イベント化』の兆候が見受けられ、その歴史的な背景が一体どんな内容であったとしても、そこに集まる本人達は、みんなで集まり楽しい馬鹿騒ぎをやるに過ぎない。
「……これも時代かのう」
一人の老人が本を閉ざした。
数十分の読書で目が疲れ、頭が重く感じた老人は、椅子を揺らしながら本を置き、毛布に包まり身体を温める。
彼は村の長老だ。
齢数百歳にもなる老人で、長い年月にわたって村を見守り続けてきた。天災に滅ぼされることもなく、伝統的な暮らしの続いた村ではあるが、ここ十数年のあいだにも、長老は人々の変化を肌で感じ取っていた。
この村は移動都市から移動都市へのルートを繋ぐ中継地点となりやすいため、行商やトランスポーターなど、たまに思い出したように来訪者が現れる。外の世界では、一体どんな暮らしがあるのか、その昔から情報の入り込む機会はあったが、それに感化されて旅に出ていく若者は、かつてはそう多くはなかった。
特に長老がまだ老人ではなかった頃など、外の世界に対する興味は湧いても、人から聞いた話で満足したり、本を読めば十分という方が普通であった。旅に出て行く若者は、それこそ数年に一人といった希少なケースに過ぎなかった。
それが一体、どういうわけか。
時代が進めば進むにつれ、外への意識は若者のあいだに広がっている。
いや、そう急な話ではないのだろう。
全ては蓄積だ。
百年以上もかけて、この村には外の情報が入り続けていた。ヴィクトリアやカジミエーシュを知る夫婦が子供を作り、その子供がまた誰かの親となる。親から聞かされた話を知る子供は、やがて自分自身でも外の情報を手に入れて、外に対する意識をより大きく育てた上で、またさらに子孫を残す。
一度は旅に出た若者が、村の発展を、より良い暮らしをと、そう言わんばかりに何かを持ち込んできたこともある。単に情報で知っているだけではない、より直接的に外を見聞きしてきた人物がまた、誰かとのあいだに子を成す。
まるで栄養を少しずつ取り込んでいくように、村の中には外の情報が蓄積され、時代と共に若者の意識は変化したのだ。
自分はこの村で一生を終えるのだと、当たり前に考えている者の数は目に見えて減っていき、こんな田舎は出て行って、華やかな都市で暮らしたいような、憧れを抱く若者も珍しくはなくなっている。
「変化は、悪ではない。そのものに善悪はない、が……」
争い、対立の元にはなる。
変化や革新を求める者と、保守的な人間で、意見が分かれることなど珍しい話でもなく、歴史の中ではそんなことが理由で戦争まで起こっている。個人間の諍いなど、本の中の出来事に比べれば、実に可愛らしいものではある。
そう、一つ一つは可愛いものに過ぎないのだ。
ただ、個人同士の対立も、数が増えれば勢力と勢力の対立と化し、分断を引き起こす。
「状況は嘆かわしい、のう……」
ここ数年、村で起こりがちとなっている諍いについて、長老は今日も頭を悩ませて、憂う気持ちでいっぱいになる。
今日も、なのだ。
その諍いについては、もう何年にもわたって議論が続いており、特に『儀式の日』を迎えた時は苛烈となる。時には村で一番偉い者に直談判を行ってでも、それを何とかしようとする若者まで現れる。
ほら、近づいて来た。
未来が見えるアーツがあるわけでも、超能力でも、優れた聴覚でも何でもないが、数百年という人生経験を持つことで、きっとそのおかげで感じ取れるものがある。これから起こる出来事全てに対する肌感覚が磨き抜かれて、そろそろ来る頃合いだとわかってしまう。
「長老!」
一人の女がドアを蹴破り、怒声を上げながら踏み込んで来た。
その人物が誰かさえ、長老にとっては予想の範疇だった。
「私はお断りです! いい加減古臭いんですよ!」
そして、長老としては、その怒りをもっともだと思っている。
成人の儀とは、性行為なのだ。
歴史を紐解けば、それが儀式として生活の中に組み込まれ、当たり前に行われていた理由も見えてはくるが、それをいくら学んだところで、歴史上の出来事を現代にまで引きずる必要性が、今の若者にはわからないのだろう。
本音を言えば、それ自体は長老も同じである。
儀式としての性行為が当たり前だった当時としては、性的な営みを通して大人と子供の区別をつける風潮が強く、処女や童貞といったものは幼い子供のシンボルだった。お前はまだ未経験だから子供に過ぎないと、そんな論調が平然とまかり通っていた。
本人としても、早く大人になりたいと逸る気持ちで、当時の時代においては積極的に捨てたがっていたものだが、それも大昔の話に過ぎない。
社会的な価値観には、多数決的な側面がある。
過半数を超える人々がそう思っていることで、それが常識と化しもする。だから当時としては当たり前でも、今はそのバランスが変化している。
「さて、どうしたものか」
長老はその変化を自然現象か何かのように捉えていた。
別の価値観を持つ者が増え、旧来の価値観を持つ割合と拮抗することで、衝突が発生しやすいことも、生物が持ちうるある種の進化だ。そう、生物学における進化とは、長きにわたる変化の蓄積であり、そういう意味では社会的価値観も進化するのだ。
「何を迷っているんですか? 長老、あなたが変化を嫌っていないことは、みんなもうわかってるんですよ!? あんな下らない儀式、廃止してしまってもいいはずだって、本当は心の中では思ってるんでしょう!?」
熱烈に弁を振るい、意地でも自分の意思を通そうとしてくる若い熱量を前にして、しかし長老は冷静に髭を撫で、余裕を持って構えていた。
「そういうおぬしこそ、ワシが何に頭を悩ませておるかくらい、わかっておるのじゃろう?」
「それは……」
その女は聡かった。
伝統意識が強いあまりに、その廃止や内容の改変を殊更に嫌い、あくまで歴史を守るべきだと主張する層がいる。その中には、単にセックスのチャンスを捨てたくない男も混ざってはいることだろうが、伝統意識に関して保守的に凝り固まった女も混ざっているから厄介だ。
曰く、人格形成の足りていない未熟な子供には、自分自身の意思でセックスの相手を選ぶのはまだ早く、大人が導かなくてはならない部分だそうだ。それを唱える女性自身が、そのように育っているわけなのだ。
本人にしてみれば、伝統の儀式を否定されるのは、そのまま自分の人格形成を否定されるような感覚になりやすい。拒否感の一つや二つ、湧いてくるのも仕方がないと、長老には推察がついていた。
長老としては、時代と共に少しずつ内容を和らげて、最終的には単に性教育を施すことで済ませるようにしていこうと、そう画策したことがある。それこそ十年以上は前から変化の蓄積をい試みて、方向性を制御しようと考えたが、なかなかどうして、上手くいかないから困ったものだ。
性行為に必要な、現代的な避妊の知識を身につけさせたり、生理など女体の仕組みについて学ばせれば、実際に交わりなどせずとも十分だろう。実践行為が儀式化したのは、識字率の低い――否、そもそも文字の発達すら未熟だった時代において、本に書いたり、口頭で伝えることが困難だったという事情が大元だ。
数百年を生きた長老にとって、見えている景色は他の村人達とは異なっている。
未経験であることが幼い子供のシンボルだった時代と、まるでそんなことはなくなって、むしろ忌避の対象化が始まっている現代を、具体的に見比べている。
歴史上の出来事を実際に体験した上で、それと照らし合わせて今という時代を見つめているのが、長老の持つ眼差しなのだった。
「少なくとも、廃止は現実的ではないのう。あと何十年かかることか、ワシにもまだ予想がつかん。あまり大きな声では言えんが、制度逃れをさせてやるくらいが関の山じゃ」
「なら、私を助けて下さい」
「そして、するとおぬしの代わりとなる女性が必要となってくるわけじゃが」
そこが問題だった。
伝統意識の強い女性は、儀式という理由で交わることに躊躇いがなく、だから男に童貞を捨てさせ続けた百人斬りの覇者までいる。
とはいえ、若年層ほど忌避感が強い以上、そういった抵抗なく筆下ろしをしてくれる女性の高齢化が進んでおり、若くして儀式に臨む手合いは年々減少傾向だ。親が子を従え、家の意向で娘を筆下ろしに送り出すところもあるが、それが駆け落ちというドラマを引き起こすケースまで発生しており、現状では人手が足りていない。
若年層での儀式の担い手は、いるにはいるが数が少ないわけなのだ。
そして、少ないからこそ、スケジュールが埋まりやすい。
今ここで彼女が降りれば、あとに残るのはさすがに歳を取り過ぎた女性ばかりで、いくらなんでももう務まらない。何人かの青年達には、大人になるのをもう少し待ってもらう必要があるわけだが、彼らにも彼らで事情がある。
村の中での仕事である。
童貞を卒業してこそ大人なのなら、旧来の価値観に凝り固まった年配は、未経験の子供など欲しがらない。働き手として欲しいのは、立派な大人だけという問題から、成人の儀に参加できるか否かが切実である場合もある。
無論、風潮に反して、儀式未参加を大人と認め、雇っている者もいるにはいるが、どこにでも雇いきれる人数の枠というものがある。
枠にあぶれて、古い価値観の雇い手の元へ行く場合、成人の儀は必須と化す。
そういった事情に、いわば屈する者もいる一方で、頑として屈せず反対を貫く者もいるため、つまり儀式の現場は人手不足という話になる。
彼女に制度逃れをさせて、その欠員をどうするか。
「そうじゃのう。そういえば、昨日は客人が訪れたとか」
「長老。まさか……」
「お若いの。善行と悪行は、時として表裏一体じゃ。誰かを救うために、他の誰かを犠牲にすると言ったらわかりやすいのう」
「やっぱり、外の人間を……」
「制度の廃止には、まだまだ向こう十年はかかるでの。おぬしが制度を逃れるには、それが一番現実的だ」
女はしばし迷っていた。
元から儀式を重んじている誰が代役を務めるなら、何ら罪悪感はなかったのだろう。そうではない、儀式の存在すら知らない外の人間を宛がうなど、さすがに気が咎めるらしい。
しかし、迷いに迷った挙げ句の果てに、彼女は頷く。
「お願いします。私の代わりに、その人を当てて下さい」
どこの誰とも知れない他人より、結局は自分の方が大切であるというのも、真理といえば真理なのだった。
「うむ、引き受けた」
老人は重い腰を椅子から上げ、杖をつきながら一歩ずつ、家の外へ向かって歩き出す。
「あ、長老……」
その足取りを見かねてか、女は横から肩を支え始めていた。
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