ミーシャ・ネクロンは歩く。
休日の学校内には、いつものような活気がなく静かなものだが、完全無人というわけにはいかない。
いつ教師が歩いて来たり、部活か何かの生徒が現れないかもわからない。
そんな中、しかしミーシャは廊下を進む。
『いいじゃないか。先ほどよりは羞恥心が増幅している』
「……当たり前」
『後ろに人が』
「!」
ミーシャは胸をドキリとさせ、反射的に勢いよく振り向いた。
しかし、長い廊下の先まで見ても、誰一人の気配もない。魔法で姿を消していないか、それさえ確かめてみるものの、ミーシャが感知するようなものは何もなかった。
「嘘つき」
『協力してやったまでだ。今の反応、なかなか傑作だったぞ』
「ひどい」
『なんとでも言うがいい。我は所詮、酷い奴の手で作られたのだからな』
その言葉にミーシャは思う。
この指輪の制作者は、よほどの力を持っていたのだろう。その崇高な知恵と力を変態的な事柄に注ぎ込み、その結果として生まれたのが、きっとこの指輪である。
ミーシャの魔法を持ってしても、力技で無理に解決することができない当り、術式は極めて巧妙に組まれている。アノスなら簡単に解くにせよ、それなりに関心するかもしれない。
『言っておこう。我の制作者について調べたり、術式の解析や分解に時間をかけるのは、決して得策ではない』
「……わかってる」
なにせ、時間がない。
二時間おきに羞恥心を発生させ、解除ポイントを溜めなくてはならない制約を考えると、図書館で書物を漁ったり、解析研究に時間をかける余裕がない。ものの数十分で済むならともかく、そうでもないのに知恵や力で解決しようと考えても、全裸の時間が長引くだけだ。
だからこそ、ミーシャはこうして歩いている。
教室に立った時より、ずっと緊張しきっていた。
耳を澄ませば、体内から聞こえる心臓の音が激しくうるさい。皮膚が敏感になりきって、ちょっとした視線をすぐさま感知しそうである。鼓膜はかすかな物音まで捉え、いつどこから人に見られてしまうか気が気でない。
今のところ、まだ誰の気配もないが、そうとわかっていても、胸やアソコを隠さずにはいられなかった。
たどたどしい足取りで、一歩一歩進んでいく。
まだ屋内ではあるのだが、教室の中で立っているより、より空けた空間に裸でいるのだ。靴は履かせてもらえるらしく、だからミーシャはブーツで歩いているが、それ以外には何一つ身に着けているものがない。
ピシッ、
と、何か物音が聞こえた気がした時、ミーシャはビクっと肩を弾ませていた。
誰かに見られてしまったのかと、顔面蒼白になって音の方向を振り向くが、音といっても本当にかすかなもので、しかも気のせいかもしれない程度である。自分でも過剰反応であるとわかっていながら、それでもミーシャは驚いてしまっていた。
そして、その小さな音の正体とは、建築物の素材が軋み、たまたま聞こえただけの何の変哲もないものだった。
人は誰もいない。
誰に見られたわけではなかったと、はっきりとわかったことで安心のため息をつくが、その一方で恥部を隠した手には力が籠もる。
乳房を隠すための右腕は、その胸をより強い力で抱き締めて、アソコをぴったりと覆った左手も、より固く張りついていた。
そんな風に体中を強張らせ、肩も背中も緊張させながら、ミーシャは校舎内を徘徊する。
間違っても誰にも合わないように注意しながら、本当に慎重に進んでいると、突き当たりにある曲がり角の向こうから、とうとう人の気配を感じた。
誰かが廊下を歩いている。
このまま進めば鉢合わせになると思ったミーシャは、慌てて左右をきょろきょろと見渡した。すると視線が教室の戸を捉え、きっと誰もいないはずであると信じて手を伸ばす。
思いっきり開いたら、物音で気づかれかねない。
できるだけゆっくり、音を出さないように開いてから、すぐに教室に飛び込むなり、今度はゆっくり閉じていく。
戸に背中を預け、ミーシャはひとまず安心していた。
だが、まだ胸はドキドキしている。
カツ、カツ、カツ、カツ、
それは固い靴の裏側が、廊下の床を叩いている音だった。
誰が通っているのかはわからない。
その顔も性別も不明の、何者かの気配はミーシャの元へ迫っている。廊下を進んでいる中で、ミーシャが寄りかかったこの戸板の前を通り過ぎようと、だんだんと近づいている。
まさか急に戸を開き、入って来ることはないだろうとは思いつつ、しかしそんな展開が頭に浮かんで不安になる。
どうか、そんな事態になりませんように――心で祈る。
カツ、カツ、カツ、カツ、
その足音は遠ざかっていく。
戸板越しの、ミーシャの真後ろを通り過ぎ、通行人はそのまま行ってくれたらしい。
『よかったではないか。今ので五ポイントは溜まった』
「……少ない」
『そう言われても、厳しく設定されているのだ。我にはどうにもならん』
会話が成立しているように思えるこの<思念通信>の声は、人口根源を利用した擬似的な人格に過ぎない。意思を持つ存在――っぽく感じられるように作れた単なる術式で、ミーシャの言葉や気持ちに応じた演算結果を出力しているに過ぎない。
術式こそが、この声の正体そのものだ。
気遣いを行ったり、人に対する好き嫌いの感情を持つこともないのだろう。
『ところで、今ならもう少しだけポイントが溜まるぞ』
「どうして?」
『教室の中をよく見てみるんだ』
言われた通り、まずは真っ直ぐ前を見る。
自分のクラスの教室だ。
校内をぐるりと一周して、気づけばここに戻って来ていた。慌てたせいで気づくのは遅れたが、無意識のうちに自分の教室に飛び込んでいたらしい。
『席を一つ一つ見ていけばわかる』
ミーシャは言われたように視線を滑らせ、座席の数々をさっと素早く見ていった。
「……えっ」
そして、小さな声を上げていた。
人からすれば反応の薄く見える驚き方だが、まさか本当に薄いわけではない。たとえそうは見えずとも、ミーシャは十分すぎるほどに驚いている。
衝撃のあまり、まず固まっていた。
だが、露店街の時のフリーズよりも早く解け、今度はあの時よりも素早くしゃがみ込む。元から胸とアソコは隠していて、そのままさっと、本当に勢いよく身体を小さく縮めて、肌の見える面積を少しでも減らそうと必死になっていた。
「い、いつからいた!?」
ミーシャらしからぬほど、声が上擦っていた。
「いや、いつからって……」
「さっき来たんだけど」
クラスメイトの男の子だ。
彼ら二人は、ミーシャがここに逃げ込んだ時から教室にいて、ミーシャの裸をおそらく先ほどからずっと見ていた。
まったく、気づかなかった。
そもそも、最初にこの教室に>転移>を使って来た時は、確かに誰もいなかった。その時の思い込みもあってか、廊下へ出て徘徊して、たまたま元の教室に駆け込んでというもの、こんな休日にクラスメイトがいるとは思いもしなかった。
銀髪の少年と、金髪の少年は、それぞれ気まずそうにしながらも、目の前にあるミーシャの裸から視線を逸らしきれずにいる。見てはいけない、見るのはまずいと、良心の呵責こそありながら、それ以上に裸の持つ吸引力に視線を引っ張られている様子であった。
「僕達はほら、何ていうか……」
「たまたまここで待ち合わせして……っていうかさ……俺達のことより……」
当然、少年二人が気にするのは、ミーシャがこんな格好でいる理由だろう。
「後ろを向いて欲しい」
「あ、うん!」
銀髪少年が即座にミーシャに背中を向ける。
「まあ、そうだよね。そうなんだけど」
金髪少年も続いて後ろを向いていた。
「色々と、どういうわけなのか」
「気になるかなって……」
二人はそーっと、恐る恐るそう口にしていた。
『話してやれ』
指輪もそう言う。
ミーシャとしても、何の理由もなく、好きでこんなことをしていたと、万が一にも誤解されてはたまったものではない。
事情を説明することにした。
露店で指輪を試しに嵌めたこと、その指輪がとんだ呪いの品物だったことを伝え、解除条件を達成しないと指輪を外すことが出来ないことまで、全てを伝えきった時だ。
「君自身でも魔法を直接解いたりできないってなると……」
「まず俺達の手には負えないよな」
説明するあいだ、二人には始終後ろを向いてもらっている。
しかし、向いてはいても、やはり気になって仕方がないらしい。どことなくそわそわして、落ち着きのない後ろ姿を見ていると、本当は振り向きたくてたまらない気持ちが痛いほどに伝わってくる。
「それで、人に見つからない方法を考えたってわけだね」
と、銀髪少年。
「ああ、そっか。今日は学校が休みだから……」
「でも、溜まるポイントは少ないと」
「それって、もっとヤバいことしないと駄目ってことなのかな」
金髪少年の言葉を聞き、その事実に対して目を背けたくなってくる。
人に見られずに済む方法では、大したポイントが溜まらない。指輪の制作者がなかなかの変態で、生半可な方法での契約解除を許さないため、それなりのことをしないと溜まらないように出来ているのだ。
『まず、その二人に裸を見せてやったらどうだ?』
指輪の声が出た瞬間だ。
<思念通信>の内容は、その場にいる別の相手にも届くらしい。
「えっ」
「いや、それはそうなんだけど……」
銀髪少年がビクっと驚き、金髪少年も素直には同意しかねていた。
本当は興味があってたまらないのだろうが、おいそれと頷いたり、大喜びで見せろと言い出す真似はできないらしい。
やるしか、ないのだろう。
こうしているあいだにも、せっかくポイントを発生させてから、少しずつ時間が経っている。まだ数分かその程度だろうが、何も新しいことをせず怠けていれば、ペナルティを受けてしまう。
その前に、新たにポイントを発生させる必要がある。
『そういえば言い忘れていたが、まだいくつかのルールがある。同一の方法、あるいは類似した方法でポイントを溜めるのは、二十四時間以上が経過した後ではならない。お前は既に全裸徘徊を行っているので、場所を変え、別のところで同じことをやったとしても、ポイントは発生しないわけだ』
ミーシャにとって、かなり困ったルールである。
裸を見てもらうという方法も、次々と相手を変えて繰り返すわけにはいかないことになる。
『それに、同じことを繰り返せば、大なり小なり慣れるものだろう? よって、似通った方法で溜まるポイントは、繰り返すごとに減っていく』
地道にコツコツ、少量ずつ溜めるという方法は、いかに効率が悪いわけなのか。
かといって、効率良く一気に溜める方法など、できれば考えたくもない。
「二人に見せたら、どれくらい解除に近づく?」
『お前の恥じらいぶりしだいだが、目安としては一〇ポイントだ』
「少ない」
『多めにポイントを溜めたければ、シンプルに人目を増やす方がいい。同じような方法は連続ではできないので、全裸徘徊も本当は人目につくところでやった方がポイントは溜まっていた。今回も同じ話だ。より大勢に見られた方が、恥ずかしさも増すというものだろう?』
「そうだけど……」
合理的に言えばそうなのだが、それを簡単に決断できたら苦労はしない。
『さて、どうする』
決めるのはあくまでミーシャらしい。
しかし、決断しようとは思ってみても、緊張と恥じらいから、なかなか踏み切ることができずに躊躇ってしまう。口を開け、言おうとはしてみながら、言うべきことを言い出せない。そんな時間を繰り返し、やっとのことでミーシャは二人に伝えるのだった。
「ふ、振り向いても構わない。事情が事情なので、裸を見て欲しい……」
そう告げると、二人の背中から歓喜が伝わって来た。
「でも……」
「本当にいいのか?」
それでも、迷いはあるらしい。
それにアノスに目を付けられたくないようなことも口走り、二人も二人で振り向くことを躊躇っていたものの、やがては気持ちを固めていく。
「振り向くからな」
「う、恨むなよ……」
そうして、二人のクラスメイトがミーシャの裸を視姦する。
これで少しは、契約解除に近づくのだった。
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