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  • クルーエルのパンツ1枚測定・健康診断【前編】

    後編

    
    
    
    
         〇・序
    
     ……はっきり言って、すごく憂鬱よね。
     クルーエル・ソフィネットはテーブルに肘を突き、ため息をつく。
    「わかるわー。あれに選ばれるのって、すごい罰ゲームだもんね」
     モスグリーン色の瞳で彼女が見つめてくる ミオ・レンティア──小柄な背丈と可愛らしい幼顔が特徴の少女だ。自分と同じ十六歳だが、外見の印象とのんびりした口調ゆえそれより一つか二つ幼く見える。
    「ほんとヤだなぁ、なんでわたしなんだか」
    「まったくねー」
     ミオはクルーエルに同調してくれる。
     ……ま、わたしじゃなかったら、他の誰かが選ばれるもんね。
     曇りきった気持ちでため息を繰り返す。
     名詠式の専門学校、トレミア・アカデミー。
     それがクルーエルの通う学校で、学校というものには様々な行事がある。課題に悩むならまだいい。憂鬱の原因は実技でも筆記でもなく、学校に課せられた一つの試練。
    
     指定測定診断。
    
     名詠を使うことで、身体に現れる変化を調べるため、保健機関と契約を結び、毎年必ず何人かの生徒を検査に出す。一般人との違いを探り、詠使い特有の体質の調査を行うとか。
     それだけ聞けば、ただの面倒な課題で済むが、問題は下着一枚での実施という話。うら若き十六歳を裸に剥こうとは、なんたる検査方式だろう。
    「クルル。終わったらジュースでも奢ろっか」
    「……ありがと、ミオ」
     そんな慰めがありがたかった。
    
         一・体重、身長
    
     当日。
     布のパーティションによって仕切られた空間で、人目を遮ってあるとはいえ、クルーエルの手は震える。
     ……ははっ、どうして裸なんだろ。
     一人苦笑しながら引き攣って、自分がどれだけ緊張しているのかを実感する。ただ制服を脱ぐだけの動作に手こずり、上を脱ぐ。テーブルに置かれた脱衣カゴに、脱いだものを畳んでいると、頬のあたりが発熱する。
     ああ、きっとわたし、赤くなってる。
     薄い壁一枚の向こうに人がいるから、上半身がブラジャーだけっていうのも、とても気になってしまう。
     指定測定診断の実施現場に選ばれた学園内の一室。
     つまり、クルーエルがいる今この部屋には、医師と職員が集まっている。脱ぐ時だけは配慮があり、パーティションで簡易脱衣スペースを作っているが、布製の壁が並んだだけだ。
     防音性は絶対ない。
     脱いでいる際の、衣擦れの音は筒抜けだし、白い布だから、光の具合で向こうに影が見えていても不思議はない。たとえシルエットでも、脱衣シーンを見られていたら、ちょっと嫌だと思う。
     パーティションの向こう側には、かれこれ七人も集まっている。
     たった一人だけ女性がいたが、他の六人は全員男。
     ……せめて男女比が逆なら助かるのに。
     心の底から、切実にそう思う。
     スカートの留め金に手をやると、やっぱり少し手こずる。普通のしているつもりでも、緊張してしまっている。まだ誰の視線も浴びないけれど、脱ぎ終わればショーツ一枚で出ていき、男達の前に立つ。脱いだ分だけ、その瞬間は近づくのだ。
     ……嫌だなー。
     スカートを脱ぎ、もう下着姿だ。
     頬の熱が上がった気がした。また少し赤くなったのかも。
     スカートを綺麗に畳む。脱衣スペースに引きこもる時間を稼ぐため。裸で男達の前に出るのが嫌なため、できるだけゆっくりとやる。ずっと、こうしているわけにもいかないけど、クルーエルは時間を引き延ばしてしまっていた。
     せめて、少しでも気持ちを固めて出て行こう。
     心の準備をするためなら、時間を稼いだっていいじゃない。
     ……腹を括らないとね。
     どうせ、きちんと受けて済ませなければ仕方がない。
     クルーエルは背中に両手を回し、ブラジャーのホックを外す。
     ああ、とうとう指定通りの格好だ。
     身につけているものは、白いショーツ、白い靴下、あとはスリッパ。
     両腕でがっしりと、固いクロスで乳房を覆い隠して、クルーエルはパーティションの外へ出ようとする。
     足が震えて、全身が磁石のように反発した。足を進めようにも、見えない反発力に押し返される。
     ……わたし、生きて帰れる?
     緊張のあまり、死にに行くでもないのに、大袈裟なことさえ思い始めた。これではいつまでも足が進まない。進まなければ、ずっと裸でいるだけだ。
     ……本当に、腹を括らないと。
     震える体で脱衣スペースの外へ出る。反発に逆らって進むから足は重い。どうしてこんな、苦労みたいな思いして、こんな格好で人前に出るんだろう。
     クルーエルの裸に全員の視線が向き、男という男の視線の前に晒された。ますます顔は赤らんで、クルーエルはすっかり下を向いていた。
     白衣をまとった中年医師、優しいお兄さんといった印象の看護師。この二人を引き連れて来た職員の豚男は、鼻があまり綺麗に反り返り、頬もぽっちゃりと膨らんでいて、本当に豚に似ていた。
     立ち会い見学という、よくわからない名目の人達が四人もいる。
     保健機関の職員らしく、唯一の女性が三人の男を従える形で並んでいた。
     ……うっ。
     腕のクロスで乳房を守り、より固く抱き締める。だけど腕二本では守りようのない、肌やショーツの露出は、どうしたって視線の餌食だ。心許ないといったらない。
     七人分の視線がある中で、さして暑いわけでもないのに、肌がじりじりと熱に炙られているかのようだ。視線だけで日焼けができそう。
    「準備が済んだようだね」
     豚男は明らかにニヤニヤしていた。
     ……やだ、やらしい、この人。
     露骨な下心が見えて、クルーエルは反射的に後ずさる。ただでさえ、鼻の骨がカーブした豚鼻で、肥満で頬も丸っこい。本当に豚に似ているルックスに、いやらしい不審な目つきは、警戒するなという方が無理だ。
     ……夜道だったら、絶対逃げる。
    「さっ、まずは体重から」
     中年医師が体重計を指していた。
     やはり、顔立ちは悪い上、ニヤっとした目でクルーエルの身体を見ている。脂っこい体質なのか、禿げかかって頭頂部が輝く短髪は、トゲのような形に固まり、表面に埃が付着して清潔感がない。
     ……失礼だけど、汚そう。この人の触診受けるのは、ちょっと。
    「はやくはやく」
     若手看護師は明るいお兄さんっぽく、外見は悪くない。豚男に中年医師と来て、目つきにもいやらしさを感じない。他の男に比べて比較的に印象が良かった。
     ただ、クルーエルが体重計に近寄り、そして足を乗せた瞬間だ。
    「両手は横じゃない?」
     若手看護師は明るく爽やかに注意してきた。
     黒い笑みがあった。
    「横って、体重くらい……」
    「あのね? なんで裸かわかってる? 皮膚の視診も兼ねているし、名詠の影響で何か目立ったアザとかの痕跡が現れないかもチェックする。他にも名詠生物がもたらした感染症なんかが、特に十代の女子にかかりやすいとか。色々と細かな調査を優先してるの。様々な理由が絡んでのことなんだから、言う通りにしてくれる?」
    「でも……」
     いくらなんでも、これは躊躇う。
     女性職員が引き連れる男達の、金髪、茶髪、黒髪の三人組が、横並びになってクルーエルの正面方向に揃っている。体重計の前に陣取り、ひとたび腕を降ろせば胸を見られる。いや、見るために並んでいる。
     若手看護師もクルーエルの前に回り込む。中年医師と豚男は、横から見える位置にいる。
     ……なんでこんな状況で。
     人の乳房で勝手に鑑賞会をやらないで欲しい。本当に、本当にやめて欲しい。最悪の気持ちにクルーエルは肩を強張らせて震えていた。
     ……でも、どうせ最後は全部。
     検査項目はクルーエルの頭の中にも入っている。事前に書類を渡され、目を通し、その時から憂鬱だった。
     性器検査だってある。
     ここで気をおかしくしていたら、この先まずい。
     ……大丈夫、大したことない。大丈夫、大丈夫よね。
     クルーエルは固くなった腕を動かす。本人が下ろそうとしても、筋肉が勝手に拒むかのように動作は固い。関節に錆びがついて、それで可動しにくくなっているみたいな、ぎこちなくてカクカクとした動きになる。
     乳房と腕のあいだに隙間が開くだけでも、横から見えはしないかが気になる。下げ始めれば、この何センチか下げただけの感じで、もう乳首が見えちゃっていないかどうかも気になる。
     気になって気になって、心許なくて仕方がないけど、やっとのことで両手を下げる。みすみす鑑賞会の見世物をやらされるみたいで、本当に嫌だけど、気をつけの姿勢になった。
    「あら、美しいじゃない。乳首の色合いといい、全体の形といい、ここまで整っているなら、むしろ見てもらなわければ損なくらいよ?」
     第一声が、女性職員のものだった。
    「え……」
     衝撃を受けた。
     唯一の同性なのに、味方でもなんでもない――もっとよく見ておきなさい? とでも言わんばかりの目配せを仲間内に送っている。女性職員でさえ、クルーエルに好奇心たっぷりの目を送る一人だった。
    「ふーん? まあまあ」
     にこやかに、爽やかに、若手看護師は乳房への評価を下す。
     ――品評会じゃないのに……。
     しかも、まあまあって。
    「体重……」
    「ああ、そうだね」
     思い出したかのように、若手看護師は体重計に出た数字を読む。白衣の胸ポケットに挿していたボールペンで、書類に書き込みを行った。
     ……もう、いいわよね。
     クルーエルは胸を隠す。視線でじりじりとやられた余韻なのか、火傷した時のヒリヒリみたいな、そんな感覚が残っている気がする。
    「次は身長だよ?」
     豚男が次の試練を言い渡す。
     こうなったら、ただ身長を測るだけの器具が次の品評現場に見えた。
     ――また、言われそうね。腕、降ろせって……。
     身長計に向かって行き、ぴたりと背中を合わせた。背筋は真っ直ぐ、顎も引き、きちんとした姿勢を取れば――ほら、腕。って、やっぱり豚男に注意され、クルーエルは降ろしていく。
     目尻を震わせ、視線という視線の数々を感じながら、気をつけの姿勢を取ると、次の瞬間にクルーエルは目を見開く。
    「えっ」
     ぎょっとした顔を浮かべていた――手が、腹に乗っていた。
     ずれないように、押さえてやるみたく、豚男の手汗がたっぷり滲んだ手は置かれ、全身がぞわついた。
     ――き、気持ち悪っ……!
     鳥肌が立ち、肌中が泡立つ。
     ヌルっと、今にも糸を引きそうな手汗の感触が、手の平の温度と共に皮膚に伝わる。豚男は左手を揉むように動かしながら、明らかに胸に視線をやり、右手でバーを降ろしている。バーが頭に触れても、すぐには読まない。
     ヘソの周りを上下にさすり、だんだんと上の方へと、乳房の付近へ手を迫らせ、今にも触られそうで身が強張る。
     さらにバーから離れた右手は下へと移り、指先でさーっと、産毛だけを狙った触れるか触れないかのタッチを肩に行う。くすぐったい感触に、肩がモゾモゾと動きそうになる。左手はもう乳房の下弦に迫っていて、あと数ミリもすれば触れてしまう。
     ……や、やだ! はやく済ませて!
     とうとう、親指の側面が乳房に触れ、膨らみをかすかに持ち上げる。右手に至っては肩の肉を揉み始め、誰が見てもセクハラだ。それなのに、クルーエルの視界に並ぶ誰もが、女性職員さえも、それを咎めようとしない。
     ……なんで? おかしい――。
     泣きたくなった。
     誰一人味方がいない、猥褻な視線にまみれた中で、クルーエルはただ一人でショーツ一枚の格好をしているのだ。
    「では数字はっと」
     豚男の顔が必要以上に近づき、吐息が耳にかかってくる。
     気持ち悪さに震えていると、やっとのことで数値が読まれ、若手看護師がそれを紙に書き込んでいた。
     豚男の手が離れ、身長計から降りることができても、そこに解放感はない。試練が済んだ安心感もない。クルーエルにあるのは、べたべたと触られ、皮膚の表面に豚男の手汗が残った感触だった。
     身長計を降りたクルーエルは、やはり反射的に胸を隠し直していた。
    
         二・スリーサイズ
    
     ……もうやだ。早く終わって欲しい。
     ショーツ一枚で男に囲まれる自分にとって、この思いは非常に切実だ。身長計から降りたところで、せっかく腕に隠した胸は、またすぐに見せなくてはいけなくなる。
    「はい。腕は上げてねー」
     クルーエルの真正面には、メジャーを持つ豚男が立っていた。
     ニヤニヤとしきった表情で、目つきはいやらしく細められている。閉じた唇から舌が出て来て、じゅるり、と、なめずる音を立てていた。
     ……うっ、やだ。ほんとにやだっ。
     なんでこんなに気持ち悪いの。
     しかも、スリーサイズの測定に移ってから、今度は周りを囲まれている。真正面の豚男は、中年医師と若手看護師をそれぞれ左右に従える形に、真後ろには女性職員と、残る男三人組の囲いの中に閉じ込められ、クルーエルは包囲の中心に立たされていた。
     ショーツの尻に視線を感じて、前からもショーツを見られ、胸にも嫌というほどの視線を注がれる。
     ……いっそ早く測って欲しい。
     豚男はやがてクルーエルに抱きつくかのように、密着直前まで迫っていた。
     ――む、無理……! 無理無理!
     顔中で引き攣り、全身に悪寒が走る。背中にかかった髪の下へとメジャーを通し、巻き付けようとする際に、背筋を指先で撫でられて、身震いのあまり痙攣のように肩を震わせた。
     豚男の着るスーツも、乳房に少しあたってきた。勃起でテント張りになった先端が太ももにぶつかった。息まで耳にかかってきて、その気になればキスできるほどの接近は、十六歳の少女には不快感が強すぎた。
     豚男は両手でメジャーを引っ張り、ピンと張り、クルーエルの乳房を間近で眺める。
     ――そんな近くで……ジロジロ……見ないで……。
     何秒も何秒も、すぐには目盛りを合わせずに、じっくりと眺め、やっとのことで巻き付ける。
     目盛りを合わせるのは乳首の上だった。
     数字を見るために、豚男は顔を接近させ、身体に息が噴きかかる。
    「では発表します!」
     ……ちょっ! そんな大声で?
    「クルーエル・ソフィネットのおっぱいは――――」
     豚男は大声で数値を発表した。
     廊下にまで聞こえはしないか。通行人がいれば、それが知り合いだったりすれば、偶然にも知られてしまわないかと怖いほど、本当に大きな声だった。
    「おっ、予想とぴったりじゃん」
     若手看護師はゲームに勝って嬉しい顔で記入をする。
    「ふむ、僕の美学に相応しい数値です。ほどよい膨らみ具合で形が整っているものこそ、僕の思う至高の乳房なのですよ」
     黒髪の男は、学術的なことを語る顔をしていた。
    「俺はあの乳首の色が好きだね。美乳なのはわかるけど、乳首が台無しだと、美観を損なう気がしない?」
     今度は茶髪。
    「美学とか美観とか、要するに性癖だろ? ま、同感だけどよ?」
     金髪はチャラついていた。
     ……なんなのよ。わたしは展示品じゃないのに。
    「美学にせよ性癖にせよ、綺麗な乳房に違いないわね。あの形を絵画の中に写し取りたいと考える芸術家がいくらでもいるはずよ? 無論、欲望のまま揉んだりしたい男も」
     女性職員さえ乳房にまつわるトークに加わり、人の体つきを話題にした盛り上がりを誰も咎める者がいない。
    「ではウェストの方を」
     豚男がメジャーを緩め、下へと移り始めた時、クルーエルは自然と胸を隠す。もう鑑賞され尽くしている。今更なのはわかっているけど隠していたい。守っている方が、曝け出しているより、まだ落ち着く。
     ショーツ一枚なのに、落ち着くもなにもないけど、少しはマシ……。
    「かわいいねぇ」
     豚男はそれをからかう。
     不快感でクルーエルは顔を顰めた。
    「さて」
     腰に絡んだメジャーが引っ張られ、ピンと真っ直ぐ伸びていた。豚男はそれを巻きついていく。ヘソの近くに目盛りを合わる。
    「では続きまして!」
     と、やはり大きな声で。
     ウェストが発表されるなり、それを耳にした男達は、こぞって予想が当たった外れたの、確かにスタイルがいいといったことを論じ合う。
    「最後はお尻だねぇ? ヒップはいくつかな?」
     豚男は大いに煽り立て、床にしゃがむ。クルーエルのショーツの高さに、豚男の顔の高さが一致していた。
     そして、抱きつくみたいに、またしても後ろ側に手を回す。お尻に手がやって来ているだけでなく、顔までアソコに接近する。ショーツに顔を埋めかねない至近距離で、鼻先が布地に触れそうだ。
     にぎっ――と、手の平で鷲掴みにして、同時にクルーエルの背中が反り返る。
    「いやっ!」
     可愛い悲鳴を上げていた。
     ……やだ、わざとだ。
     メジャーを巻こうとするフリをして、お尻の近くに手がいくのをいいことに、わざわざ触って、揉んでいた。
    「ああ、ごめんごめん」
     まるで悪いとは思っていない、むかつく顔で、豚男はクルーエルの顔を見上げる。こちらは何かを言いたくてたまらない目つきになるけど、豚男の方はヘラヘラした表情を返してくるばっかりで、反省なんてしそうにない。
     ……いつまで揉むのよ。この変態。
     憤りで、拳に力が入る。モミモミと、豚男の指が動いている。何秒もかけて揉んでから、そのまま指を押し込むみたいにメジャーを巻く。指の腹をぐいっと入れ、引っ掻く形で、触りながらメジャーを引っ張っていた。
     目盛りはショーツの手前のところ。
     数字を読むために、また顔は近づく。ジロジロと性器のところを見られていると、ショーツの中を透かされている気がしてくる。
    「ではでは発表しましょうか」
     当然、大声での発表。
     ……最悪すぎる。
     せめて廊下の外で誰かが聞いているなんてことだけでも、絶対にないで欲しい。
    「おおっ、僕の予想とは誤差三センチ以内!」
    「残念、俺はだいぶ外した」
    「いくらなんでも、百センチオーバーってのは大きくいきすぎたんじゃねぇ? そりゃお前は巨尻大好きだからしょーがねーけど?」
     口々に語り合う。
     ……よくも数字を聞いたくらいで、馬鹿みたい。
     悔しくてならないものを誤魔化すように、クルーエルは無理にでも男達を馬鹿にして、見下そうとした。胸を隠したままの両腕の、二つの拳にぎゅっと力がこもり、力んだ手の甲はプルプルと震えていた。
    
         三・内科検診、乳揉み触診
    
     中年医師が聴診器を手にしていた。
     椅子に座り、背筋を伸ばし、両手を垂らしたクルーエルには、胸の中央に聴診器が当たっている。
    「まあ、しかし可愛い形のおっぱいだ」
     聴診しつつ、中年医師は人の乳房を論評することを言い、目つきはニタニタといやらしい。診察しているのか、人の胸を眺めているだけなのか。
     おまけに醜い顔立ちで、脂ぎった髪質なのか、トゲトゲに固まった表面に埃が付着し、不潔感もかなりのものだ。顔が良ければ許すわけでも何でもないけど、余計に不快感は強くなってしまう。
    「乳首の色も可愛いもんで、芸術品という評価も頷けますなぁ」
     こんなことを言う彼も、先ほどまではもっとまともに検診をこなしていた。
     ペンライトでまぶたの裏側を照らし、喉の中身をチェックする。問診では日頃の体調について聞き取り、名詠を行った前後や翌日など、身体に影響が現れた経験がないかもよく聞かれた。
     聴診が始まってから、この調子だ。
    「ずっと見ていられそうだよ。クルーエルちゃん」
     胸の中央から、ひんやりとした金属の感触が離れていくと、今度は左乳房の下側に当たってきた。下弦の膨らみを少しだけ押し潰し、今度こそ耳に意識を集中する。何も言わなくなったと思いきや、数秒後には目つきのいやらしさが蘇り、ニヤニヤと人の乳房を鑑賞していた。
    「じゃあね。目視で左右差のチェックをするから、いくつかポーズをお願いするよ」
     中年医師が指示してくるのは、両手を下げたまま背筋を伸ばすという、先ほどからとっくにとっている姿勢。腰に両手を当てた姿勢。両腕を持ち上げたポーズ。三つのポーズで中年医師は乳房の視診を行う。
     いやらしい視線よりは、真面目な視診の方がマシだけど、マシだといっても嫌なことは変わらない。
    「そろそろ触診に移ろうかねぇ?」
     中年医師の唇は歪んだ笑みの形に吊り上がる。
     ……わたし、この人に揉まれるの?
     信じられない思いに打ちのめされ、追い打ちのようにクルーエルは囲まれている。乳房の様子が見える角度に集まり、触診を鑑賞しようとする視線が、誰も彼もから突き刺さる。
     ……こんなの、ちょっとキツすぎる。
     中年医師のシワを刻んだ手が迫り、クルーエルは逃げたい思いにかられていた。近づく手を払い退け、揉まれることを阻止したい衝動が溢れる。本当にそれをやったら、間違いなく問題になるし、きっと自分が悪者扱いで終わるだろう。
     悔しいけど、ぐっと堪えていた。
     あくまでもだらっと両手を垂らしたまま、迫る両手を受け入れていた。
     ――本当に、揉まれちゃった……。
     乳がんを調べるという目的はわかっているが、手始めに鷲掴みに、五指に強弱をつけるように揉まれ、クルーエルの目尻に力が入る。
    「こうやってね。手の平全体で包んでやることで左右差を確かめて、しこりがないかっていうのも確かめてるからね?」
     揉みしだかれ、そんなクルーエルの有様を全員が好奇に満ちた目で見ている。
     ……んっ、やだ。本当に。
     男の手の平から伝わる温度が皮膚に染み込む。乳房に指が食い込んでは、脱力によって離れていく。脇から乳房にかけての部分に手を移して、やはり丁寧に揉み込むと、今度は四本指を押し込み流すような触診が行われた。
     上弦の部分に四指をぐにりと押し入れて、下へと流す。横から中央にかけて。指腹の指圧で引っ掻くようにする。
    「うん。しこりもリンパの具合も問題なしだね」
     中年医師は鷲掴みの揉み方に戻り、改めて指を動かす。
    「ま、念のためにもうちょっと揉んでおくんだけどね。クルーエルちゃんのおっぱいは、ふわっとした綿みたいに柔らかくてね? 指があっさり入るんだけど、離すとプルって感じでね。振動を帯びながら元の形に戻るわけ」
     ……なっ、なにをそんな詳しく!
    「あとね、乳首が反応してるね。固くなっていてだね、こっちの手の平にツンツンと当たってくる感じがあるわけ」
     自分の乳房について事細かに解説され、男達はお得な情報を知ってニヤける。生理的な反応を指摘されたり、みんなにヒソヒソと話題にされるのも恥ずかしいし、辛くて嫌だ。こんな中年に触られるのも、多少は感じてしまう自分自身のことも悲しい。
     だいたい、もう触診は終わっていて、あとは好きで揉んでいるだけじゃない。
     ヒソヒソとした話し声――おいおい、診察だろ? ――これで感じるなんてエロッ! 少しはしたないようだね。好き勝手な言葉がクルーエル本人の耳に届いてくる。
     言葉による辱めに、クルーエルの唇には強い力が入っていた。口周りの筋肉に力が入ってしまい、唇が波打つような形に歪んでいた。
     ……別に、感じてるってほどじゃないし。
     強がりのように、心の中では言っていた。
    「ちょっぴり反応しているかな? こうして揉んでいるとだね、かすかにだけど肩がモゾつくみたいに動いているね。クルーエルちゃん、君、感じてるでしょ?」
    「そんなことは……」
    「ははっ、正直に言っていいんだよ。自然な反応だからね、何もおかしいことはないの。触診によって性的な快楽を感じている。はい、君もこれ書いておいてね」
     中年医師が目配せを行うと、若手看護師は紙にボールペンを走らせる。
     ……やだっ、本当にっ、感じたって記録まで取られちゃうの?
     こんなところで、こんな形で感じたことが、医者の手できちんと証明されてしまったかのようだ。
     ……わ、わたし、触診で感じたことになるの?
     記録が保健機関に行き、そのようなデータとして扱われる。今ここだけでなく、後から資料を見た人達がクルーエルについて読みながら、ふむふむ、気持ち良くなっちゃったか、などと感想を漏らすのだろうか。
    「では乳首いくからね」
     その時、中年医師は乳首をつまんだ。
    「にゅん!」
    「おや、可愛い声だね。いやいや、面白い声だったけど、ちょっと我慢してね?」
     クルーエルは乳首に刺激を受ける。指腹のあいだに挟まれ、クニクニとした指圧が行われる。
     乳房で感じた。
     甘い電気が流れる感覚に、肩がピクピクと、モゾモゾと動いてしまう。触診で感じた記録を書き取られたばかりで、また書かれてはたまらない。何とか堪えてみせようと、全身に力を込めて反応を抑え込もうとしていた。
     ……もう書かれたくない! か、感じたくない!
     必死に感覚を封じ込め、何も感じまいと努めてみるが、神経が及ぼす作用は念じるばかりではどうにもならない。
    「んっ、んぅ……んぁ…………」
     悲しくも、声が出た。
    「ふむ、確かに感じているようですね。それらしい身じろぎといい、今の可愛らしくもエロティックな声といい」
     黒髪によって反応さえも品評される。
    「今のも記録に書いておいてあげるね?」
     にっこりと爽やかに、あまりにも良い笑顔を浮かべる若手看護師は、かえって悪魔にしか見えない。
    「まあ、これは念のためなんですが、間違いや誤診などあってはいけないので、一応確認しておきましょう。クルーエルさん、ここまで肩がモゾモゾ動いたり、くねったり、可愛い声が出たのは痛みによるものですか? 触ったことで、違和感などありましたか?」
     症状に関する質問だった。
     ……これに嘘は言えない。言うわけにはいかない。最悪。
     本当に、本当に最悪だ。痛かったことにすれば、じゃあ何かの症状って話になって、ややこしくされるに決まってる。
     だけど、事実を伝えるということは、若手看護師が書き取った内容は全て真実だって、本人がお墨付きを与えることになる。
     ……言えない。こんなの、言えないわよ。
     クルーエルは深く俯く。
     言えないけど、言わざるを得ない。
    「どうなんですか? 痛かったんですか? さほど強く触っていないはずなので、今ので痛みがあったとすれば、色々と疑わなくてはいけないのですが」
     中年医師の言葉に追い詰められ、逃げ場を奪われたかのようだ。
     こうなったら、自ら白状するしかなかった。
    
    「感じ…………まし、た……………………」
    
     小さな声で、そう言った。
    「聞こえませんが?」
    「か、感じっ、ました……性的な、刺激でした…………」
     一瞬だけ声を荒げ、直ちに萎れ、クルーエルは細々と下を向いて告白する。まるで悪いことをした自白をさせられているようで、とても惨めだ。
    「ほほう? 認めましたか」
    「可愛い反応だったよな」
    「言えてる言えてる。めっちゃ可愛いでやんの」
     男達はざわめきあって、感じた反応がどうだったとか、声がエロかったとか、そんな話をやり始める。女性職員まで加わって、クルーエルのどこが良かったのなんのと。豚男だってクルーエル本人に感想を伝えてくる。
     ……ううっ、いっそ死にたい。
     透明人間にでもなって、消えてしまえたらどんなにいいかと、この時ばかりは本気で思うクルーエルだった。  
    
    
    


     
     
     

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