第11話「運命を思って」

前の話 目次 次の話




 恐怖と緊張に飲まれ、先ほどの梓川夢音は何も逆らえなかった。
 まず、心が硬直してしまう。
 もっと目上相手にはっきりとものが言えたら、ああして腕を引っ張られることはなかったはずだ。
 あのままなら、きっと色々とされていた。
 あのタイミングで現れた桃井俊樹の存在は、まさしく救いの神だった。
 先生は噂通りだ。
 毎年、クラスの女子全員とやろうとする。一人一人品定めして、価値の高い子と低い子に分けている。悪い噂を夢音は信じていなかった。噂というもの自体、信憑性があるものだとは思っていなかった。
 だが、本当に稲田源一は嫌な男だ。
 常日頃から女子生徒にいやらしい視線を向け、処置員だから実際に手を出して妊娠までさせる。

 あんな人の子供を生むなんて……。

 制度による妊娠は、結婚して生む子供とは別に考えるように小さい頃から教えられ、その通りの価値観を持つ人間も少なくない。
 現実として、中学三年の時期に生んでも育てられない。
 命に責任を持てないのに、それでも生ませなくてはならない制度下では、処置で生まれた子供は国の施設が預かる。それが普通であり当然だと学ばされ、クラスの中にも施設出身の子はいくらかいる。
 それはいい。
 いつか妊娠する身としては、処置で孕むという現実に、そうした教えに縋って折り合いをつけている。
 きっと、時代特有の価値観だ。
 ミイラ症がなかった時代の、今とは異なる価値観に小説を通して触れ、昔の常識や倫理を知っている夢音にとって、捨てる前提で生むかのようで、とても酷いことに思えてしまう。
 では先生の子供を受け入れ、育てたいかと言われたら、それは想像もしたくない。施設制度に縋るしかないし、そのつもりではいるものの、一体先生はどう考えているのだろう。
 避妊無しでするのなら、それは命を作る行為だ。
 生まれる命について、どう考えているのか。

「ねえ、俊樹くん」

 そっと、夢音は声をかけた。
「ん?」
 目の前に座る俊樹の視線が、夢音を向く。
 デート中だった。
 あれから、俊樹の手で引っ張られ、約束通りにショッピングモールに出かけた上、オシャレなカフェで丸いテーブルを挟んでいる。カップに注がれた美味しいコーヒーを啜りつつ、二人きりの時間を楽しむ夢音なのだが、嫌な目に遭った直後もあって、ふとした拍子に源一の顔や声が脳裏を掠める。
 あんな人とのセックスが未来には待ち受けている。
 今は考えたくない、処置のことも……。
「私達、付き合ってるよね」
「当たり前だ」
 断言してくる。
 だが、これは一度も確認したことがない。
「中学生での恋愛って、どう思う?」
 言葉にすると、今の自分達をそのまま疑問視して聞こえそうで、思わぬ受け取り方をされはしないか不安があったが、一度は聞いておきたかった。
 どう、答えるだろう。
 少しのあいだ、俊樹は沈黙に沈む。静かにまぶたを閉ざし、カップの中に残ったコーヒーを飲み干すと、その瞳が改めて夢音に向く。
「未来を気にするか、過去を気にするかだよな。俺はたぶん、未来を気にした上で、そのあと過去も受け入れなきゃいけない」
 そう聞くと、やはり自分の恋愛観に人を巻き込み、辛い思いを背負わせているような気もしてくる。

「でも、それがわかってようとなんだろうと、好きなもんは好きだ」

 俊樹の視線には夢音を貫く熱があった。
「そっか。そうなんだね」
 夢音は安心した。
 処置前のうちに燃やす恋愛感情の方が、制度の後よりきっと純粋なものだと、自分はそう考えていたからいいが、相手が同じ考えとは限らない。俊樹の気持ちを聞けたことで、心にあった曇りは晴れ、この人となら一緒にいられそうだという気持ちはより固まる。
「好きなもんは仕方ない。恋愛は処置が済んでからって考え方の子がアメリカにいたけど、それ待ってたら、お前みたいに可愛い子は他の男に取られかねない」
「もう……」
「だから、もし夢音が恋愛は高校生から派なら、予約でも入れたと思う」
「それ、どっちみに告白じゃん」
 そんな風に夢音が苦笑した時だ。
「それと――」
 まだ、何かあるらしい。
 一体何だろうと、夢音は静かに待ってみるが、照れ臭そうな言いにくそうな、はっきりとしないたどたどしさで、俊樹は急に目を泳がせる。
 俊樹のこんなところ、滅多に見ない。
 きっと、彼女である自分しか、そうそう見る機会のない顔だ。

「キスしよう」

 心臓が飛び出るほどにドキリとして、夢音は赤らんだ。
「き、キス……」
「お前の唇、くれ」
 真剣な眼差しだった。
 心の底から何かを求め、実現したい熱意を宿す瞳に、ならば夢音も心を決める。
「…………うん」
 夢音は静かにぎこちなく、しかし内心では舞い上がりながら頷いていた。

 キス? 俊樹とキス?
 本当に?
 本当に本当に!?

 …………
 ……

 その夜、満月の下で唇を重ね合わせた。
 月の綺麗な場所を知っていたらしい。
 山の自然公園で手を繋ぎ、夜景を眺め、視線を移せば大きな月が輝く下で、自然と空気が切り替わり、二人のあいだにしか存在しない独自の世界が生まれていた。
 心が一つに溶け合って、お互いのするべきことがわかっていたかのように抱き締め合い、長い長い時間のあいだ、二人は唇を重ね続けた。

 だが、次の日だ。

 制度による性交時期が決定され、担任からその通知を渡された。