芹沢愛美の内科検診




「あー……だめね……」
 いかにも気怠そうに、げんなりとした表情を浮かべる黒髪の女は、脇下から取り出した体温計の数字を見るなり顔を顰める。
「ほんっと、駄目ね。病院でも行くか……」
 彼女の名は芹沢愛美せりざわまなみ。
 VARS開発を行った科学者であり、VARSヴァルスとは人間の考えを感じ取り動くロボットのゲームである。ゲームどころか、聖勇者バーンの合体に必要となるマシンを生み出し、バーンガーンへの合体さえ可能とした開発能力は、およそ底というものを知らず、モビィ・ディックと呼ばれる空飛ぶ戦艦さえ作っている。
 もっとも、だからこそ忙しさの中で知らず知らずに免疫を低下させ、気づけば風邪をこじらせていたわけだ。
「とっとと治して、色々と続きやんないと」
 愛美はすぐに電話機を手に、午後に空きがあるとのことで病院の予約を取った。
 グランダーク率いる悪の軍勢との戦いで、バーンや他の勇者たちの修理がいつ必要になるかもわからない。肝心な時に自分がこれでは、瞬兵たちの戦いにも支障が出る。風邪を長引かせている場合ではない。
 予約の病院を訪れ、受付を済ませ、やがて待合室で名前を呼ばれる。
 三十代か、その辺りの白衣の医師と向かい合い、最初に行うのは問診で基本的な症状を聞き取ることである。どんな風に辛いのか、だるいのか、熱は何度か。愛美は頭のだるさや微妙な腹痛について訴え、下痢はあったか聞かれたので今のところないと答える。
 診察に移っていくと、喉の奥をライトで照らして覗き込む。頸部リンパを触診するため、首に手を伸ばして触ってくる。
 そして、これだ。
「では服を脱いで頂けますか」
(ま、仕方ないか……)
 あまり気乗りはしないながらも、医師の指示に従う愛美は、まず赤いジャケットを脱いでいき、その下に来ていたシャツのボタンを外していく。前をはだけて、袖も抜き、上半身はブラジャーのみを残すこととなる。
 ブラジャーも外し、羞恥を堪えつつも乳房を晒した。
 聴診器を手に、心臓の音を聞こうと当てて来る医師の顔つきには、何らいやらしいものは感じない。純粋に音だけに集中して、目の前のオッパイに特別な関心を抱いていない。診察のために脱がせたのだから当然と言えば当然だが、指が当たってきそうな位置に聴診器の手があることを、愛美の方は少しばかり意識してしまっていた。
(ったく、このくらいで恥ずかしがっても仕方ないでしょうが)
 愛美は自分に言い聞かせる。
 腹にも聴診器は当てられて、医師は臓器の音に耳を傾けていた。ヘソの真上にぺたりと、次は右側、左側、さらに下腹部に近い位置にも当たって来る。医師の目つきは事務的なもので、耳に聞こえる音のことしか考えている様子はない。
「今度は手を触れていきますので、ちょっと失礼しますよ」
 と、医師は愛美の腹に手をやって、指先で軽く押してきた。
「どうですか? ここ、痛んだりしませんか?」
「ええ、少しだけ」
「臓器の方にも何か症状があるかもしれないので、少し詳しく診ていきますね」
 そう断りを入れた医師は、腹のあらゆる位置に指を押し込んだ。ヘソの近くを、あるいは離れた位置を、皮膚の上から臓器のことを探ろう探ろうと触ってくる。押し込むたびに、この位置で痛みはあるか、どうなのかも聞いて来る。
 押せば痛みの生じる位置を、医師は着実に把握していた。
 そして、ここまで何の不穏な気配もなく、真面目に診察をこなす医師である。裸にされているとはいえ、特に疑念を抱くこともない愛美は、次の触診さえも、ごく自然に受け入れていく。
「脇下のリンパも確かめていきます」
 医師は両手を伸ばし、左右それぞれの脇に四指を差し込んできた。脇から胸筋にかけてを繋ぐ神経を揉み、調べようとしてくる手つきに、さすがに乳房に近い位置であることに愛美は少しばかりの緊張感を覚えていた。
(ま、我慢するけどね)
 最初はリンパを確かめていた。
 しかし、医師の指はしだいに位置をずらしていき、だんだんと横乳を触り始める。生え際というべきか、肋骨の両側というべきか。明確に乳房を触っているとは言い難い、ただ指が付近に迫っている感覚に、愛美は一つの予感を抱えた。
(まさかとは思うけど)
 ふと、思ってしまう。
 もしかしたら、このまま胸の触診までしてくるのだろうかと。
(まさかね。乳がん検診じゃあるまいし)
 自分で自分の考えを切り捨てた。
 その瞬間だ。
「胸もよろしいですか」
「え……」
 一瞬、固まった。
「失礼します」
 医師は愛美の答え待つこともなく、もう了解は得たとばかりに、はっきりと横乳の領域に指を侵入させていた。上下にさするかのようなタッチで皮膚を調べて、指腹を押し込むような診察を開始していた。
 横乳の上弦から下弦にかけ、さーっと撫でていく手つきがアーチを成す。ある程度まで下へ動くと、往復運動のために上へ行き、さーっと、それから下へ動いていく。上へと動き、下へと動き、ふと指先はプニプニと、押し込むために動き出す。
 まるで何かの点検だった。
「なるほどねぇ」
 一人呟きながら、医師は下弦に四指を潜らせ、下から持ち上げる形でプルプル揺らす。上下に小刻みに弾む運動を見て、それで一体何がわかるのか。さらには乳首の周りを点々と、指を差し込み調べていく。
 上弦にも、下弦にも、あらゆるポイントに指を押し込む。
(妙に念入りじゃない)
 羞恥紛れに、愛美の心は呟いていた。
 しかし、男というものは、ここまで性的な関心を抱くことなく、ただただ仕事という理由だけで人の乳房に触れられるものなのか。こんなにも念入りに、ありとあらゆるポイントに指を押し込み、皮膚をさすっていながら、いやらしい顔を浮かべる気配が少しもない。
「っ」
 その時、愛美は口元で引き攣った。

 乳首を触られたのだ。

 人差し指を使って上下に弾かんばかりの刺激を左右に行い、急な責めを受けた愛美は、あまりのことに虚を突かれ、怒りの声や諫める言葉が出るより先に、まず真っ先に驚いてしまっていた。
「お腹を調べた結果、臓器の疾患から他の場所にも症状が広がっていないかを調べました。つまり乳房やその周辺ですね。これまでのところで、何か痛みなどはありましたか?」
 医師はさも当然のことしかしていないように、症状について尋ねてくる。
「べ、別に……ないわね……」
「ではもう少しだけ」
 今度は手の平全体で、乳房を完全に揉みしだかれた。
「なっ、ちょっと……!」
 愛美が驚き、目を丸めているあいだにも、医師の指はグニグニと芋虫が暴れるように蠢き周り、ものの一瞬にして揉み尽くす。味わうのにかける時間は数秒で十分だったかのように、わずかなあいだに手汗の感触や手の平の温度をしっかりと刻み込まれ、愛美の胸には揉みしだかれた余韻が深々と残っていた。
 手の感触、温度、手汗、そういったものがどこまでも深く浸透しているような、深い深い余韻が愛美の胸に残されていた。
「アンタ。ただ揉んだだけじゃないでしょうねぇ?」
 乳房から手が離れ、診察が終わってやっとのことで、愛美は医師を問い詰めようとするものの、愛美に返ってくるのはきょとんとした表情だった。
 何故、どうして、責めるかのような声色や表情を向けられなくてはならないのか。それが本気でわかっていない表情に、まさか今の今まで、全てが本当に診察目的で、痴漢でもセクハラでもないものを糾弾しようとしてしまった気にさせられる。
「ああ、いや、いいのよ。きっと必要だから確かめたのよね」
 そう自分を納得させながら、愛美はブラジャーを着け直し、シャツとジャケットを身につけていく。
 あとは処方箋を受け取り、薬を貰って帰るだけだった。

 しっかし、最悪ね!
 まだ感触が残ってるじゃない!

 たとえ必要な行為であり、立派な正当性があったとしても、愛美の胸にはその日一日、男の手に揉まれた感触は延々と残り続けた。翌朝になってさえ余韻は消えず、最悪な気分に壁に頭でも叩きつけたい衝動にかられているのだった。