1:二人の距離感

目次 次の話




 思い出せない、何をしていたのだったか。
「おっかしーな……」
 会場施設を後にして、制服に着替えた多田仁志は、自分が受けていた審査の内容がわからずに首を捻った。
 以前受けた優良健康生徒審査会で優勝して、全国に進出してしまったはずなのだが、一体どんな内容だったか。
 本当に、どうして思い出せないのだろう。
 ついさっきまでの出来事がわからなくなるなんて、自分はどうかしてしまったのか。
「なによ多田くん。どうかしたの?」
 隣を歩く芹沢綾が怪訝そうな顔をしていた。
「なあ、変なこと聞くけどさ。俺たち、なにしてたっけ?」
「はあ? なにって、審査でしょ?」
「その審査だけど、なにしてたっけ」
「あーあー。そーんな記憶力なら、勉強ができないのも当然ね」
 芹沢は呆れた顔ような小馬鹿にした視線を投げかける。
「おい、だったら芹沢は思い出せるのかよ」
 むっとした様子で、多田は強気に問い返す。
「思い出せるも何も、さっきの出来事じゃない。そんなすぐに忘れるわけ――」
 芹沢は調子づいた言葉を急に止め、次の瞬間にはみるみるうちに困惑を浮かべ始める。人を馬鹿にした手前、どことなく焦っているようでもあった。
 あれ? あれ?
 なんて、心の声が聞こえて来そうだ。
「お、おかしいわね……忘れるわけないのに……」
「だろ?」
 思い出せないのだ。
 他の記憶ならきちんとしている。
 ことの始まりは五月上旬頃、多田は急に保健室に呼び出され、「優良健康生徒の候補になったから」といった理由で詳しい身体のデータを取られた。病歴や手術の経験なども聞かれてから、その日はすぐに帰らせてもらえたが、実に三日後のことだ。
 教室で遊んでいたところ、芹沢と二人で校長室に呼び出されたのだ。
 てっきり、何か怒られることでもしただろうかと、恐る恐る校長室へと向かったのだが、多田の不安は杞憂だった。
 校長先生は実ににこやかに二人を迎え、満面の笑みでこう言った。

「おめでとう。君たちが本校の生徒代表に決定した! 日本一の優良健康生徒目指して、是非とも地区選考会で良い成績を納めてくれたまえ!」

 そして、実施された審査の数々で、女子達の裸が多田の脳裏にはくっきりと焼き付いているる。今こうして隣を歩く芹沢も、アソコや肛門まで散々に曝け出し、死ぬほど恥ずかしい思いをしている。
 それは覚えているのだ。
 その審査会で優勝したらしく、全国審査に進んで今日という日を迎えたわけだが、審査終了後の多田と芹沢には、どうしてなのか記憶がない。
「私達、二人して思い出せないなんで……」
「そう……だな……」
 いつもなら、「なんだ、お前だって忘れてんじゃねーか!」と、調子のいいことでも言って、芹沢をからかっていたいところだ。すると、プリプリ怒り返して来るというのが、二人のいつもの馴れ合いだが、今ばかりはそんな気が起きなかった。
 不気味ではないか。
 あるはずの記憶がない、思い出せない。
「あそこで何をされてても……わからないってことよね…………」
 まさか臓器を抜かれていることはないだろうが、未知への恐怖は多田も同じだ。
「け、けど! 前の時だって、色々と大変だっただろ? あれと似たようなことしかしてないって!」
 不気味を誤魔化し、無理にでも忘れたいかのように、多田は妙に必死になって、芹沢ばかりか自分自身にも言い聞かせる。
「そ、そうよね! 前回だって散々だったし、良くはないけど――同じようなことしかしてないはずよね!」
 芹沢も、無理に自分を納得させていた。
 きっとそうだ。
 何もおかしなことは――いや、前回からして物凄かったが、あれを上回る何かだなんて、そうそうあるはずはない。
 気になって気になって仕方がないのを、心の奥に強引に封印して、多田は前に進み出す。
 その隣を芹沢も歩き、本当は気になることを二人して知らない顔で、一緒になって無視を決め込んでいた。

     †

 ……数日前。
 しばし時間は遡る。

 芹沢綾の脳裏には焼きついていた。
 陸上部である多田の鍛えられた肉体と、立派に勃起していた一物は、忘れようとしても頭にしっかりとこびりつき、離れてはくれなくなっていた。何よりも多田と芹沢は、お互いのオナニーさえ見せ合ってしまったのだ。
 やっと全ての審査が終わり、服を着ることができるかと思いきや、体育館へ向かう直前に呼び出され、自慰行為についての指導を受けた。芹沢はアソコを角に押しつける方法で、多田は床オナというもので、間違ったオナニーを正すため、きちんとしたやり方を教えられた。
 その時、芹沢は多田の見ている前で股を開き、自分で自分のアソコに指を入れるような羽目になり、一体どれだけ恥ずかしい思いをしたか。しかも多田まで指導を受けていたわけだから、芹沢自身も多田のオナニーを目の当たりに、自分の肉体をオカズにされる感覚まで味わった。
 思い出すと、むらっとしたものがアソコで疼く。
(私ったら、なに考えてるのよ)
 こんなことで意識をするなんて、それこそスケベな多田と変わらない。
 わかっていながら、布団の中に入る時の芹沢は、時として自分の秘所に手を伸ばし、あの時の指導を思い出しながらしてしまう。
(本当に……はしたない……)
 どうして、多田なんて意識してしまうのか。
 内申点を大きく上げる由緒正しい審査を受けていながら、その後も教室での様子は変わらない。今日だって、休み時間中に教室でボールを投げ合い、注意すれば「ボールじゃねーぞ。ジャージ丸めたんだよ」などと言い出すお子様だ。
(ったく、どっちも一緒でしょうが)
 心の中では文句を垂れつつ、指は膣穴に出入りして、クリトリスも弄ってしまう。
 そんな日々が続いていた中で、芹沢はある時、多田の走り込む姿を見てしまった。
 バスケ部所属の芹沢だが、外で走り込みをする際、校庭のトラックを何周もかけて走る陸上部の姿を見て、一生懸命な多田の姿に関心したのだ。
(けっこう頑張ってるじゃない)
 みんなが疲れきっていき、フラフラと今にも倒れそうに走る中、それでも背筋を伸ばしてフォームを保ち、前に進んでいく姿を見て、決して悪い気持ちは浮かばなかった。

     *

 当然のように思い出す。
 女子の裸という裸、胸の大きい柳瀬、水着の日焼け跡があった清水、何よりも日頃顔を合わせることの多い芹沢のスタイルは、多田仁志の記憶に深く刻み込まれている。
 一人でニヤニヤとネタにする多田だが、もちろん友達には話していない。
 それはさすがに傷つくだろうと、良心が働くわけだったが、思い出をネタに自慰行為をすることに関しては遠慮はしない。
(にしても、あいつも頑張ってるよな)
 多田は芹沢に感心していた。
 陸上部は校庭での練習が多いのだが、雨の日は廊下や体育館にスペースを借り、筋トレに時間を割いたり、屋内用の練習メニューをこなすことになる。
 そんな時、芹沢の練習を拝む機会があった。
 みんなに指示を飛ばし、チームメイトを動かすリーダーの凜々しさが目に焼き付く。練習試合だったのか、ひとたびボールを持てば巧みなドリブルとフェイントで対峙した相手を振り回し、パスで仲間に繋げて得点を重ねていた。
 強いのも、当たり前か。
 芹沢だって、大会に進出するだけの腕がある。
 ただ、それにしても、裸を見たとか、肛門まで見てしまったといったことより、もっと芦沢自身の存在が心に染み込む。クラス委員として周りに頼られ、審査会でもしっかりとした受け答えをしていた姿が目に浮かび、頭の中に芦沢のことが膨らんでいく。
(なんだってんだ)
 多田にはそんなことが増えていた。
 思い出してニヤニヤと楽しむわけではない、特に自慰のつもりもない時に芦沢のことが大きく浮かび、教室での様子やいつも喋っている声が脳裏に再生される。
 一体、自分はどうしてしまったのかと、そのたびに頭から芦沢を振り払う毎日だった。
 
     *

「なあ、バスケしないか?」
 そんな自分が昼休みに芦沢を誘い、校庭に連れ出したのは、一体なんの気まぐれだろう。
「へー? 多田くんがバスケ部の私に挑んじゃう」
「おう、男の実力を見せてやろうと思ってな」
「後悔しても知らないけど?」
「させてみろってんだ」
 多田は先行のドリブルを開始して、ゴール前に立つ芦沢へ駆けていく。正面からボールを奪いにきたところをサイドにかわし、すかさず砲丸投げのようなフォームでゴールを狙う。
「――おっしゃ――れ?」
 決まったと思いきや、壁が聳えた――芦沢だ。
 山なりに飛んでいくはずだった多田のシュートは、両腕を長く伸ばした高いジャンプに遮られ、ボールは芦沢の手に収まってしまう。
(って、ことは)
 着地した芦沢は、多田に背中を向けていた。
「させるか!」
 咄嗟に走る。
 パンチでも打つように平手で突けば、芦沢の両手に挟まるボールを後ろから落とせると思ったのだ。シュートさえ阻止できれば、その思いで突っ込んだが、多田の手は宙を空振る。
 芦沢はしゃがんでいた。
「のわっ!」
 そんな芦沢が勢い良く立ち上がるから、顔に頭がぶつかってきそうで身を引っ込め、後ろに倒れんばかりに背中を反らす。態勢の崩れた多田は、もうシュートの阻止などできるはずもなくなってしまい、そのままボールは投げ込まれた。
 綺麗にリングを通り抜け、網の下へと落ちたボールのバウンドに、多田はすっかり膝をつく。
「嘘だろ……」
「嘘じゃないの。もう一回やってみる?」
「つ、次はこうはいかないぜ!」
 意気込む多田だが、今度は芦沢のドリブルに翻弄され、フェイントに振り回されたまま突破され、ゴール付近から軽々とシュートを入れられる。ならば自分がフェイントで振り回してやろうと挑んでみるが、いくら運動神経の良い多田でも、経験豊富な芦沢を捌けずに、あえなく奪われ投げられる。
 ゴールが決まるたびに攻守を入れ換え、挑戦を繰り返す多田だったが、やっと投げたと思っても、ブロックの手に軌道を逸らされ、ゴールは取れない。
「くそっ! もうちょっとなのに! もう一回!」
 負けじと挑み続けようとしたところで、無慈悲にもチャイムが鳴り、昼休みは終了を迎えてしまう。
「残念、一点も取れなかったわね」
「まさかここまでやるとは……」
「ほら、さっさと戻るわよ」
「……くっ!」
 敗北の無念を抱え、多田はボールを片付け教室へと戻っていく。

     *

 その日の放課後だった。
「まさか、ねぇ?」
「そ、そうだな。まさか……」
 廊下を進む多田と芹沢は、いかにも悪い予感がしてならない、引き攣った表情で校長室へ向かって行く。
 帰りの直前、呼び出しがあったのだ。
『B組7番、多田仁志くん。同じくB組12番、芹沢綾さん』
 放送で名前を呼ばれ、校長室へ行くという記憶は、二人にとっては全ての始まりを意味している。
 いや、まだそうと決まったわけではない。
 もっと別の理由で呼び出された可能性もあるじゃないか。
 二人はそんな風に誤魔化し合い、一緒になって引き攣りながら、やがて校長室へと辿り着くのだった。



 
 
 

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