第5話「デートのお誘い」

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  せっかくそこに彼がいる。
 お互いに窓を開いて挨拶を交わしたい。いささか古いラブコメにあるようなやり取りをしてみるのが、佐藤日和にとってはちょっとした夢だった。
 今日、夢は叶った。
 朝起きて、窓からトントン音が聞こえたかと思うと、見れば隣に住む仁藤晴美が身を乗り出し、ノックしていたのだ。
 日和は大喜びで飛び出して、晴美の首に腕を巻きつけ抱擁を求めた。
「おはよう。晴美」
「おはよう。日和」
 温かい。
 朝からこうして抱き締め合えるだなんて、日和はとても幸せだ。
「昨日の下着、まだつけてるよね?」
「……うん」
 耳元で囁かれ、日和は儚げに頷いた。
 着替えをわざと覗かせる建前から始まった一種のプレイは、恋仲が成立し、お互い合意の上になるなり、昨日のうちに随分とエスカレートした。単に下着を見せる以上の行為をもうしてしまっている。既に二人で窓を開け、直接顔を合わせながらのオナニーまで許したのだ。しかも、日和は晴美のために自分の下着を上下両方使わせている。
 だから日和の現在の下着は、一度肉棒を包んだまま洗っていない。先走り汁を吸っているかもしれなかったが、目立つ汚れはついていないからと、日和は夜まで下着は付け替えないつもりでいた。
 我ながらマニアックかもしれないが、日和はそんな下着を付けていたい。マーキングを受けた自分でいてみたかった。
「これから着替える?」
「うん。カーテン――っていうか、窓。閉め忘れておこっか」
「お願い」
 そう、あくまで閉め忘れ。着替えを覗かれるのも偶然に過ぎない。
 どこかで建前は生きたまま、今も二人のあいだに見えない線を引いている。その内側にいる限り強引には襲われないはずという、微妙に根拠のない安心感から、日和は彼の視線を浴びながらでもパジャマを脱いでいけるのだった。
 下着姿になった日和は、全身を見やすいように窓際へ体を向ける。
「綺麗だよ。日和」
「ありがとう」
 体つきを褒められるのは、羞恥というより単なる照れくささが上回り、日和は気恥ずかしさで身をモジモジさせてしまう。
「おっぱい。谷間が見たい」
「はい、どうぞ」
 窓から少しだけ身を乗り出し、すると晴美は乳房の狭間を覗き込む。熱い視線がまるで湯水を流すように注ぎ込まれ、胸元が熱されていくような心地がした。
「やっぱり綺麗。大きくて、丸くて、すっごく色っぽいよ」
「……もう、言わないでってば」
 途端に羞恥心が膨れ上がり、日和は頬を染め上げた。
「言われたいくせに」
「そうだけど……」
 日和は俯いた。
 少々マゾっ気のある日和は、恥ずかしい言葉を耳元で囁かれることが嫌じゃない。もちろん何の好意も持たないただの男が相手であれば、さぞかしゾっとしていただろう。好きな人が相手というだけで、本当なら不快だったり嫌な思いをするはずの事でも、不思議と悪い気分にはならないのだ。
 晴美は何か特別な魔法でも使っているのか。
 もちろんそんなわけではないのだが、少しはそんな思いがよぎるほど、それは日和自身でも不思議なことだった。
「ねえ日和、今日は土曜日だよね」
「うん」
「あのさ、デートしない?」
「……え?」
 一瞬、きょとんとして首をかしげた。
 しかし、今や恋仲。
 自分が一体どんな誘いを受けているのかをしっかり自覚し、羞恥心とは別の意味で日和は顔面を染め上げた。
「……で、で、デート! ですか!?」
 声が上ずる。
「……まあ、ね。彼氏だったら誘わないのはおかしいと思うし、休みだから出かけたいし、どうせ出かけるんだったら日和とがいいし……」
 晴美もどこか言い訳がましく理由をならべ、気恥ずかしいような顔で視線を泳がせる。彼も彼で、さらっと言ってのけたように聞こえたが、本当は勇気を出して誘ってくれたのだ。
 けれど、どうせなら可愛い格好で誘われたい。
「だったら、ちゃんと服を着た私を誘って?」
「う、うん! わかった」
「どんな私服を着るかはお楽しみなので、今回は閉め忘れ禁止だからね!」
 日和は窓もカーテンもきちんと閉め、隙間がないことを確認する。デートへの誘われただけのことが、日和にとってはあまりにも嬉しすぎた。興奮で顔を合わせていられず、その窓の閉め方はやや高速で手早かった。
 クローゼットの服を選ぶ。
 さて、どの服がいいか。
 迷った挙句に黒のミニスカートで脚を出し、上は赤いパーカーを羽織って赤と黒の組み合わせに決めてみる。
 着替えを済ませた日和はメールを送った。
『待ち合わせ、しよ?』
 隣同士だ。玄関を出てすぐに会う方が早いは早いが、きちんとどこかで待ち合わせをした方がデートらしさが上がる気がする。
 わざわざ手間をかけさせるが、初めてなので色んなことを試してみたかった。
『わかった。駅前でいい?』
『いいよ』
 そのまま正確な場所と時間を話し合い、十分後には外出する。

 町の方向へ脚を向け、そして……。

 駅前に立つ銅像へ向かう。
 そこで既に到着している晴美がそわそわし、腕時計を見ながら日和が来るのを待ち構えている様子を、遠目から少しだけ眺めた。自分を待ってくれている姿を確かめたい、ちょっとした悪戯心だ。
(うん。待ってる待ってる)
 人混みの中から今にも日和の姿は見えないかと、晴美は切実に待っている。女の通行人が晴美の方向へ歩いていくと、晴美は一瞬だけ期待した表情を浮かべるが、それがただの一般人とわかるとしょぼくれていた。
 なんとなくわかる。
 もし日和が先に到着していたら、やはり通行人が自分の方向へ来るたびに、やっと晴美が来たといちいち期待してしまう。自分でもするであろう反応を晴美もしていることに、日和は親近感を抱いていた。
 そんな晴美の様子を少しだけ楽しんだ。
 本人には悪いかもしれないが、昨日は散々恥ずかしい姿を見せているので、これでおあいこといったところだろう。
 そして、ドキドキしながら晴美の前へ飛び出した。
「お待たせ。晴美」
 私服を見せるのは初めてだ。
 下着なら、今までいくらでも見せていた。似合っているのか。どこか変ではないか。どんな評価を下されるか。何度でも覗かせてきた分、そういう意味での緊張は一つもなかった。
「私の服。どう? かな……」
 日和はひどく恐る恐る尋ねた。
 初めて私服を見せたことで、まるでテスト提出後に味わう良い点数が取れているかの不安に似た、これから下される評定に対する緊張感が溢れてきた。家を出る前までの日和はもう少し自信を持っていたはずだったが、いざ本番となると後ろ向きな気持ちが表に出る。
 そもそも、日和はそう積極的な性格ではない。
 本当ならもっと地味な服装を好むところを、せっかくのデートだからと、かつて母親から買い与えられたものの着る機会のなかった、やや華やかな柄入りのパーカーを実は初めて着ているのだ。
 初デートに張り切りすぎて、日和は少々無理をしている。
 晴美はなまじ会話し慣れた相手だ。慣れない相手との会話では途端に言葉が出にくくなり、口数は大幅に減ってしまう。ふられた話題の返事を考えているうちに時間が経つことがしばしばで、あまり無意識のうちに夢中で喋ってしまうような真似はできないが、慣れ親しんだ相手であれば多少はお喋りできる方だ。
 どちらかといえば内気な日和は、服装でも目立ちすぎないものを好んでいたが、せっかくの慣れ親しんだ相手に少しは派手な格好をしてみたい。自分なりに地味すぎるものは避け、目立ちそうな色を選び、靴下もカラフルなものを履いきている。
 自分に華やかなものなど似合わない。きっと変に見られるだけだろう。
 それが日和の自己評価だ。
 しかし、晴美だったら褒めてもらえるかもしれない。
 小さな期待感を抱きながら、日和は普段なら絶対に履かないミニスカートまで履き、街中で太ももをチラつかせながら歩いてきたのだ。しかもパーカーの内側に来たシャツは、ピンク色でアルファベットの黒字の刺繍が入っている。大きな乳房が布地を膨らませ、刺繍を内側から盛り上げて、街中にも関わらず谷間が見えかけだ。
 普通の女の子なら、これしきの露出度は当たり前なのかもしれない。
 しかし。
 人の視線を嫌う日和にとって、谷間も脚も出ているこんな露出度で出歩くなど、それだけで羞恥プレイに他ならない。裸で外を出歩くような恥ずかしさだ。しかも、相手が晴美限定の時なら下着姿にまではなれるが、不特定多数の一般人の視線をこうして受けるのはやはり不快で気持ち悪い。自分でこんな服を着ておいて、自業自得なのはわかっているが後悔した。
 地味な自分がこんな格好をして、おかしくはないか。
 そんな不安を日和は抱いていた。
 それでも。
 自分などを好きになってくれて、日和はとても嬉しかった。だから日和も精一杯のアピールで返してやり、自分も晴美が好きなのだと伝えたい。そのためにいつもと違う雰囲気を作ろうと努力して、大冒険に出かける気持ちでここまできた。
 伝わるだろうか……。
 ただ服が似合っているかだけでなく、日和が抱くのはそういう不安だ。
 そして、晴美の口がゆっくり開く。
 吐き出される言葉は……。

「可愛い!」

 褒められて、日和は胸がきゅっと引き締まった。
「ほ、ほんと?」
「うん。とっても似合ってるよ」
「そ、そうかな……」
「こんなに可愛い日和とデートだなんて、本当に幸せだな。ありがとね。日和」
 晴美はそう言って日和を撫でる。
「いえ、こちらこそ」
 頭をくしゃくしゃと撫で回され、日和は子犬のように喜んでいた。